大森・蒲田

Omori / Kamata

海苔の産地から文化・レジャーの先端地域へと発展

江戸時代には海苔の産地として知られる漁村でした。現在は海苔の養殖は行われていませんが、多くの海苔問屋が残っています。明治期に入ると、東京湾ではじめての海水浴場が開設され、また鉱泉が発見されたことから、料亭や旅館が建ち並び、東京近郊の保養地として栄えました。明治後期には蒲田に蒲田菖蒲園がオープン。行楽地として人気に。また、映画会社・松竹の蒲田撮影所ができたことにより映画関係者が多く移り住み、華やかな街へと変貌しました。