Tokyo

11/22 (金)

【第12回】「手打ち」というだけで蕎麦は美味しいわけではない

天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。

※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

手打ちそばが美味しいと思われている理由

現在ではとかく「手打ち蕎麦」でなくては美味しくないという風潮が広まり、皆様方のご愛顧によって育てられてきました昔からの老舗の蕎麦屋は肩身の狭い思いをしております。


なぜなら、現在商いをさせていただいている老舗のほとんどは、昭和初期まで例外なく全て手打ちで蕎麦を作ってまいりましたが、拡大する販売量との関係で、量をさばく必要がある老舗は、蕎麦の美味しさに最も大切な「水回し」といわれる捏ねの作業は従来通りの手のままに残し、機械で補えるところ(延しと切り)は機械に移行させて参りました。


これによって大勢のお客様にも対応できる大量生産が可能となりました。
浅草の並木の薮さんも、神田の薮さんも、室町の砂場さんも、永坂更科布屋太兵衛さんも当店もこの類です。


圧倒的に総手打ちの方が高い評価の昨今ですが、こうなった理由は、昭和30年ごろにポツポツ現れ始めた手打ち蕎麦屋が、従来の蕎麦屋に比べて圧倒的と言っていいほどの美味しいお蕎麦を再現した事が始まりです。


ストレートに言えば、その頃の普通の蕎麦屋の蕎麦は蕎麦とは言えない代物だったのです。
戦後の食糧事情の悪い中、うどんの委託加工をしていた影響で、そば粉が手に入るようになっても小麦粉が5割、7割といった蕎麦を供給しており、そうでもしないと蕎麦が長くつながらないという技術不足がその原因であります。


我々が手打ちで用いる「木鉢を使う技術(大きな鉢に蕎麦粉を入れて水と合わせる)」が無いため、混合機であっさりと水と粉を混ぜ機械ロールのもの凄い力で板に固めたコンクリートのような蕎麦しかできない蕎麦屋がほとんどになってきたのがこの昭和30年頃だったのです。

美味しいお蕎麦の秘訣は「木鉢」の技術にあり

我々老舗にとっては、この違いが蕎麦の決定的な違いを生むことを解っておりますので、この頃も今も機械で延ばして切ってはいるものの、大切な混合作業は手による木鉢こねになる訳です。それ以外は蕎麦作りの辞書にないのです。


新たにそば店を開業しようとする人が美味しい蕎麦を売っている店は例外なく手で捏ねている事を知り、原点に戻り手で捏ね、手で伸ばし、手で切る「総手打ち」を行っています。
それが評判となり、大成功と言う手打ち蕎麦店が増えてきた流れが今に繋がっているように思います。


老舗の旦那衆が口を揃えておっしゃるように、丁寧な木鉢の技術が蕎麦の命なのです。
手打ち蕎麦だから美味しいのではなく、良い木鉢の技術でないと美味しくないのがお蕎麦です。


良い木鉢のお蕎麦はそば汁を程よく吸い込み、しっかりつながった腰の立ったふんわりしたお蕎麦のことです。
現在の東京には、のれんを横断してこの木鉢の技術を大切にしようと集まった「木鉢会http://www.kibati-kai.net/」と言う老舗の集まりがあります。
ぜひ美味しい蕎麦屋の参考にしてください。

金子栄一さん

芝大門 更科布屋 布屋萬吉こと7代目ご当主

この記事を書いたのは…

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。

更科布屋ホームページ

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