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12/22 (日)

ユネスコ無形文化遺産決定で話題!東京の「風流踊」が大集合!東京都民俗芸能大会をレポート

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盆踊り、鷺舞(さぎまい)、獅子舞、エイサー…。昨年、ユネスコ無形文化遺産の一覧表に記載された日本の民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」は、とにかく種類が豊富である。なぜ今、注目を集めているのか?実際の演舞の様子とともに理解を深めていきたい。

2023年2月4日と5日、東京都新宿区にて第54回東京都民俗芸能大会が開催された。テーマは「ユネスコ無形文化遺産記載記念 ~風流踊の世界~」。今回、ユネスコへの記載対象となった全国41件の風流踊のうち東京のものは3件あるが、そのうち「下平井の鳳凰の舞」が4日に、「小河内の鹿島踊」が5日に登場し、風流踊の世界を堪能できるイベントとなった。

今回は5日のみ取材させていただいたのだが、出演した4団体の各演舞を拝見して感じたことを交えながら、風流踊の魅力をお伝えしたい。

風流踊とは何か?

それでは風流踊とは何か?簡単に触れておきたい。

まず、読み方は「ふりゅう」だ。「ふうりゅう」と間違いやすいので要注意である。「ふりゅう」は華やかで賑やかという意味である一方、「ふうりゅう」は上品な趣きという意味だ。

この意味が表す通り、風流踊は大勢の人が集まり、一緒に踊ることが特徴。そこには除災や死者供養、豊作祈願、雨乞いなど、さまざまな願いが込められている。

風流踊は2022年11月30日、ユネスコ無形文化遺産の一覧表に記載されることが正式に決定された。ここには全国各地の41件の風流踊が含まれている。盆踊り、踊り念仏、掛踊、六斎念仏、鷺舞などその種類は幅広い。「人々の団結を促し、コミュニティーへの帰属意識を育む」などの地域社会の一体感を促す点が、この記載に繋がったようだ。

東京で受け継がれる風流踊が大集合

それでは、実際に2月5日に拝見した風流踊の様子を振り返っていきたい。会場は東新宿駅から徒歩3分のところにある、新宿文化センターだ。

この施設の大ホールにて、4団体の踊りが行われたので、それぞれについて詳しく振り返っていこう。

優雅な鷺の動きに注目!白鷺の舞

まずはじめに登場したのが、浅草寺舞保存会白鷺の舞執行委員会(台東区浅草寺)による鷺舞だ。

鷺舞の歴史は京都八坂神社の祇園祭が起源。1100年前から悪疫退散のために伝承されてきた。浅草寺の鷺舞は、浅草観光連盟が昭和43年に東京百年の記念行事として、慶安5年(1652年)の「浅草寺慶安縁起絵巻」の祭礼行列の中にある鷺舞の姿を、京都祇園祭の鷺舞を基本に復原したものである。

大傘、武者、棒振り、餌まき、白鷺、楽人、守護童子らで構成されている。時代がタイムスリップしたような雰囲気で、平安時代を再現した大河ドラマを見ているような気分に浸ることができた。

鷺舞には雄と雌があるとのこと。

雄の場合はクチバシが黒くて口が開いており、雄叫びを上げているようだ。羽根には青い紐がついてる。それに対して、雌の場合はクチバシが金色で口が閉じているのが特徴。羽根には赤い紐がついている。

雄雌の情愛を表した舞いのようだ。

また、鷺が餌を食べるシーンがとてもリアルだった。バッと撒かれた餌を食べていた。この舞いはその名の通り、本物の鷺の姿を再現しているようにも思えた。

御幣を振る!花畑大鷲神社獅子舞

次に披露されたのが、花畑大鷲(はなはたおおとり)神社獅子舞保存会(足立区)による獅子舞だ。元々、この獅子舞は江戸時代中期(元禄期)に疫病を祓うために始まったと言われており、悪疫退散、五穀豊穣、雨乞いなどの願いが込められている。

この獅子舞の特徴は3頭の獅子舞で舞う、3匹(頭)獅子舞の形態であるということ。付け根が角ばった大獅子(長男)、ねじれた角の中獅子(次郎役)、角がなく宝珠のみのカカ獅子(母親役)の3役がある。

獅子頭は2~3kgの重さがあり、それに高価な羽がついているという格好だ。また、太鼓がついており、それを叩きながら踊るので、結構ハードな舞いである。

「ひがかり」という名前の演目が行われ、「御幣がかり」の言葉が変化したものと言われる。御幣がついた弓に吸い付くように、獅子が近づいていくような仕草が見られた。

また、弓をとって神社の神職の方が振る御幣のように、獅子が厄を祓っている姿は印象的だった。動きも造形も獣のようだったが、このようにどこか人間味のある仕草も見られ、そのような所作に魅力を感じた。

元々は担い手を長男に限定して継承されてきた舞いだが、今では担い手不足もあり、次男以降の男性や女性もこの芸能の担い手として関わるようになっているという。

集落が沈んでも繋ぐ、小河内鹿島踊

その次に行われたのが、今回、ユネスコ無形文化遺産の記載対象となった41件中の1件である、小河内(おごうち)鹿島踊保存会(奥多摩町)による鹿島踊だ。始まりは定かではないが、江戸時代初期のかぶき踊や念仏踊などの古い風流踊の要素が残されている。

もともと旧小河内村の日指(ひさし)・岫沢(くきざわ)・南の3集落に伝わる民俗芸能だったが、小河内ダムが造られることになり、昭和26年(1951年)に小河内村は解村式を行い、地域の大半がダムに沈んだ。移転先の人々がなんとか集まる機会を作ろうと、鹿島踊の保存会を設立したという経緯がある。

ダムが造られることになり村は無くなってしまったが、その踊りを継承し続けてユネスコ無形文化遺産に記載。土地は無くなってもふるさと意識は少なからず残り続けているようだ。

今回披露された演目が、こきりこ、月は八幡、さんころりん、櫻川という4曲だ。歌詞は京都の歌のセリフも混じっているようで、京都とのつながりを感じる。

踊り手は全員男性だが、顔を白塗りし振袖を着ているのが特徴。笛や太鼓の音色はとても軽やかで、頭の飾りはとても精巧なつくりをしており、とにかく豪華である。

最終演目で手に持っているのは「桜をすくう網」である。造形がどこか七夕飾りのようにも見え、華やかな賑わいのような雰囲気を感じた。

ユネスコの無形文化遺産に記載をきっかけに、活動が広がっている一方で、人数が減ってしまって、演舞をお断りすることもあるとのこと。そのような中で、昨夏に子どもたちが稽古に来てくれて、今練習中とのことで、これからの継承にも弾みが出ているようだ。

会場に一体感!桜風エイサー琉球風車

最後の演舞は、沖縄由来のエイサー。「桜風エイサー琉球風車」の読み方は、「おうかじエイサーりゅうきゅうかじまや」(沖縄県宜野湾市・町田市)で、桜美林大学を拠点に活動している団体である。今回は撮影が禁止だったので、踊りの画像は無しで振り返りたい。

エイサーは本土の盆踊りに相当し、17世紀初頭の念仏歌を起源としているとも言われている。演舞前の担い手の言葉で、「エイサーは一体感が得られるのが魅力」という言葉が印象的だった。実際に客席の人々に手拍子や手の振りを促す場面もあり、舞台と客席の垣根が消えて、ライブのような一体感を感じることができた。

演舞構成は複雑でなく感動や踊り手の生き様が直に伝わる爽快さや青春のような感覚があった。若手も多いし、現代の感覚にヒットしやすい踊りだと感じた。また、掛け声もハキハキしており活気も感じられた。

東京は全国の風流踊、民俗芸能を見られる場

東京都といえば、その中心部は高いビルが立ち並び、地域コミュニティの活動が活発でないエリアも多い。それでも、これだけ個性豊かな民俗芸能が各所で伝承されていることに、改めて驚きを感じた。

新宿文化センターの空間は立派なつくりをしていて、観客数も非常に多かった。東京にも民俗芸能が集える空間がたくさんあるし、それぞれの芸能にも魅力的なポイントがあるのだ。

これらの芸能の由来を辿れば、京都や沖縄など全国各所につながり、短い時間で簡単な旅をしているような気分にもなった。日本全国に風流踊は存在し、ユネスコ無形文化遺産への記載をきっかけとして訪れたいと感じている方も多いだろう。都民にとっては、思いきって足を伸ばさなくても、気軽に民俗芸能を楽しめる場があるということに改めて気づくことができた。

<参考資料>
第54回東京都民俗芸能大会 当日配布資料
※第54回東京都民俗芸能大会の様子は、都民芸術フェスティバル公式Youtubeチャンネルにて後日公開の予定。

出典:ユネスコ無形文化遺産決定で話題!東京の「風流踊」が大集合!東京都民俗芸能大会をレポート

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