老舗のご当主や観光ガイドなど、そのエリアに詳しい方々に、見どころを案内してもらうまちあるきシリーズの第1回。今回は、寛政3年(1791年)創業、大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」のご当主・布屋萬吉こと金子栄一さんに芝大門の街を案内してもらいました。
芝大門でタイムトラベル!老舗そば店のご当主とゆく歴史ツアー
大門駅の階段を上がると、情緒ある老舗そば店「更科布屋」(地図①)はすぐそこでした。お店の前で「ようこそ!」と迎えてくれたのは、7代目ご当主の金子栄一さん。本日、芝大門エリアをナビゲートしてくださる生粋の江戸っ子です。こんにちは。
更科布屋は創業から230年以上。代々受け継がれた味を守り、そばの実1粒1粒の持つ風味を余すところなく引き出す製粉方法で、長年多くのファンを惹きつけています。金子さんは、生まれも育ちも芝大門。今はすっかりビジネス街になりましたが、「50年前はずいぶんちがう景色が広がっていました」と語ります。
「昔、このあたりには花柳界があったんです。ちょっと浅草に似た下町情緒のある粋な場所でした。お祭りでは芸者さんたちが担ぐ“女神輿”が出たりもして、とっても華やかだったんですよ」(金子さん)
当時は、通りに着物屋さんや扇子屋さんといった小さなお店がひしめき、その前を人力車が走る大繁華街があったというから驚きです。
「さらに時を遡れば、ここは1500年前から人が暮らしていた地域。昔からランドマークが多いのが特徴です。2時間もあれば、いろんな時代へのタイムトラベルが楽しめるはず。今日は、昔の人たちが愛した歴史的な観光スポットを4つ巡ってみましょう」(金子さん)
いざ、この街を知り尽くす金子さんと一緒に、ぶらり歴史ツアーに出発!
●芝大門 更科布屋
東京都港区芝大門1-15-8
03-3436-3647
http://www.sarashina-nunoya.com/
※お店の詳細はこちら
境内で人気者たちが大乱闘!?平安時代創建の「芝大神宮」
「更科布屋」のお店の前から歩き出して徒歩1分。あっという間に1つ目のスポットに到着しました。ここは寛弘2年(1005年)に創建された厳かな神社「芝大神宮」(地図②)です。
「江戸時代、この場所で町火消しである“め組”の鳶職と江戸相撲の力士たちの間で諍いが起きたんです。それが世にいう『め組の喧嘩』! 当時の“め組”やお相撲さんといえば町の大変な人気者。彼らが激突した大喧嘩は歌舞伎などでも人気の演目になっていますね」(金子さん)
喧嘩が起きた当時、火事を知らせるめ組の半鐘が打ち鳴らされて、大勢の江戸っ子たちが集まり、上を下への大騒動に発展。騒動の後、奉行のお裁きで発端となった二人は江戸払いの刑罰となりましたが、何より重い島流しの刑に処されたのは『カンカンと鳴って世を騒がせた』半鐘だったそう。「お奉行様の粋なお裁きですね」と笑う金子さん。
罪をかぶった半鐘は三宅島に流されましたが、明治時代に放免され、現在はこの神社に秘蔵されており、毎年2月の節分祭前に行われる「め組 半鐘祭」と、毎年9月に行われる当地のお祭り「だらだら祭り」のときにお披露目されるといいます。
さらに、見逃せない名物がもう一つ。それが授与品「千木筥(ちぎばこ)」です。昔から、持っていると着物が集まるとのご利益があるとされ、転じて「玉の輿に乗れる」といわれて江戸の町娘たちがこぞって手に入れたとか。今でも、歌舞伎役者をはじめ、芸能関係の皆さんが授かりに訪れるそうですよ。
●芝大神宮
東京都港区芝大門1-12-7
03-3431-4802
http://www.shibadaijingu.com/html/access.html
江戸時代から人気の名所!徳川家の菩提寺「増上寺」
続いての目的地は「増上寺」(地図③)。「芝大神宮」から歩き出し、江戸時代の東海道である国道1号線を左に見て横断歩道を渡って、このあたりの町名の由来となった「大門」をくぐります。
「この門こそ、これから向かう『増上寺』の総門=玄関です。当時、東海道沿いにはたくさんの商家が立ち並んでいましたが、この山門をくぐった先からは寺社のエリア。今もお寺が多いのはそのためです。実は、道幅も町割りも当時のままなんですよ」(金子さん)
江戸の気配が残る道を歩き出すと、立派な門と東京タワーが見えてきました。新旧の建造物が仲良く並ぶ、ふしぎな光景です。
「あの門が『三解脱門』です。昔、私も登ったことがあるのですが、ビルの3〜4階くらいから見るような景色でね、意外と高さがありました。平屋が普通だった江戸の人にとっては、この楼閣こそ“東京タワー”のような存在だったかも。当時はJR浜松町駅のあたりまでが海で、この門の上から東京湾が一望できたそうですよ」(金子さん)
残念ながらこの門は2024年度内には素屋根がかかる可能性があり、その後10年間は修理期間に入るそう。ぜひ今のうちに見ておきたいところです。
門をくぐると、さすがは将軍家の菩提寺! スケールの大きさに圧倒されます。右手には、鳴らすとはるか千葉まで聞こえたという大きな鐘も。階段を登って、大殿内で静かにお参りしましょう。
さて、大殿を出た金子さんは、地下へ続く階段を降りていきます。ここは?
「『増上寺宝物展示室』です。ここには英国ロイヤル・コレクション所蔵の『台徳院殿霊廟模型』が展示されているんですよ。台徳院殿とは2代将軍・徳川秀忠公のこと。増上寺に来たらぜひセットで詣でてほしい、圧巻の展示です」(金子さん)
「台徳院殿霊廟」は、聞けば、なんとあの「日光東照宮」の原型になった廟だったそう。国宝に指定されながら戦災で焼失し、今はこの模型が残るばかり。実寸大の荘厳な建築、見てみたかったですね。
続いて金子さんは、境内の奥にある「徳川将軍家墓所」へ。この日は残念ながら閉館時間を過ぎていましたが、内部には徳川家の6名の将軍とその御台所が埋葬されたお墓が並んでいるとか。「見比べてみると、年代によって豪華さが少しず違うんです。徳川家の威光の強さを如実に表しているのが面白いところですね」と金子さん。ぜひじっくり見てみたいと思います。
ちなみに、こちらに埋葬されているのは秀忠公(2代)、綱重公(4代の弟)、家宣公(6代)、家継公(7代)、家重公(9代)、家慶公(12代)、家茂公(14代)。家康公・家光公は日光、慶喜公は谷中、残りの6名の将軍たちは天海僧正が開いた『寛永寺』に埋葬されています。
「親子で入られている方がほとんどいないところがミステリアス。政治的な理由もあったでしょうが、もしかしたら将軍たちは父子であまり仲が良くなかったのかも(笑)? いろんな想像をかきたてられる奥ゆかしい墓所です」(金子さん)
●大本山増上寺
東京都港区芝公園4-7-35
03-3432-1431
https://www.zojoji.or.jp
オープン当時は大門まで長蛇の列!?昭和のシンボル「東京タワー」
江戸時代のランドマークを参拝した後は、時代をビュンと飛び越えて、昭和の東京を代表するシンボルの元へ。関東地方のテレビ・ラジオの総合電波塔として昭和33年(1958年)に開業した「東京タワー」(地図④)です。高さは333m、建造時は自立式の鉄塔として世界一の高さだったとか。
「こんなに巨大なものが1年半でできたというから驚きですよね。見どころは、なんといってもスケール感! スカイツリーはシュッとしていて男性的だけれど、東京タワーは暖色で、ドレスを着たような女性的なシルエット。明かりがつくとキャンドルのようにも見えて、どこか女神さまのような、あたたかい印象があります」(金子さん)
完成時は4歳だった金子さん、タワーに登りたい人たちが大門のそばまで列をなしていたことを今でも覚えているそう。かつては蝋人形館や水族館、ボーリング場もあったといいます。
「そうそう、そば屋の目線で言うとね、芝大門は大晦日にピッタリの場所なんです。当店で年越しそばを食べて、増上寺で除夜の鐘をついて、東京タワーで初日の出を見られちゃう(笑)。今はスカイツリーもあるから、浅草でも同じことができますね!」(金子さん)
東京タワーの全身を写真におさめるなら、もみじ谷から弁天池を通り、「ザ・プリンスパークタワー東京」のある芝公園に向かいましょう。公園からはもちろん、道中もときどき振り返れば、そびえる東京タワーが一望できます。
「もみじ谷との名もあるように、このあたりは紅葉の名所で、明治期には『紅葉館』という純和風の高級料亭がありました。洋風の『鹿鳴館』がわずか7年で消えた後、『紅葉館』が政治家や軍人、実業家、文人たちのサロンになっていたと聞きます。明治14年(1881年)から第二次世界大戦の空襲で焼失するまでこの地にあり、その広大な跡地に東京タワーが建ちました」(金子さん)
実は、小説『金色夜叉』の著者・尾崎紅葉も、この料亭からペンネームをとったのだとか。
「さて、レトロさんぽの締めくくりは美味しい最中なんていかがですか? すぐ近くに、尾崎紅葉さんゆかりの最中をいただける、老舗の和菓子屋さんがあるんですよ」(金子さん)
●東京タワー
東京都港区芝公園4-2-8
03-3433-5111
https://www.tokyotower.co.jp/
明治の創業「芝神明 榮太樓」で、あまくてカワイイおみやげ探し
金子さんが向かった最後のスポットは、明治18年(1885年)創業の老舗「芝神明 榮太樓」(地図⑤)。日本橋にある「榮太樓總本鋪」から暖簾を受けついだ和菓子店です。増上寺にもお菓子を納め、歌舞伎界ともご縁が深いとか。
訪れると、4代目ご当主・内田吉彦さんが笑顔で迎えてくれました。内田さん、こちらの名物は?
「代表銘菓は『江の嶋最中』です。5種類の貝殻のモチーフの中にそれぞれ異なる餡が入っています。この名付け親が尾崎紅葉さんだと伝わっていて、初代がこの最中を持って紅葉さんを訪ねたところ、ちょうど奥様が琴で『江の嶋』という曲をひいていらっしゃったのだとか。それが由来となりました」(内田さん)
以来、この最中は文豪のお気に入りに。執筆のおともとして、原稿の横に寄り添っていた日があったかもしれません。また、季節ごとに限定販売される季節の和菓子も人気。春は黒糖入りの夜桜餅が売れ筋だそうです。
ここを訪れたら、ぜひ榮太樓の軒先にある看板にもご注目を。この独特の文字は、なんと先代と戦友だったアーティスト・岡本太郎さんの手によるものだそう。長い歳月を刻みつづける老舗ならではの面白さが、こんなところにも。
「もともと古い街だから、地元に根付いたお店がたくさんあります。そこがこの町のいいところ」と内田さんと金子さんが声を揃えます。
「地元といえば、そば屋の老舗同士では屋号ではなく地名で呼ぶ習わしがあって、うちは昔から大門さんと呼ばれるんです。他のお店も、薮さんや砂場さんといった屋号ではなく、連雀町さんや巴町さんという風に地名で呼び合うんですよ。それだけ古い家業は地元と密接に結びついているというイメージが昔から色濃くあるのでしょうね」(金子さん)
「たしかに。うちも屋号の頭に『芝神明』を掲げているし、先祖代々根付いてきたこの街をはなれては商売ができません。とはいえ地名はどんどん変わってきているし、『芝神明』をつけたお店もずいぶん減ってしまって…。それは少し寂しいけれど、これからは私たちがお店を営み続けることが、かつてのこの町の地名を残すことにつながるのかもしれませんね」(内田さん)
お店の歴史が街の歴史そのもの、なんですね。やっぱり老舗は面白いですね。
●芝神明 榮太棲
東京都港区芝大門1-4-14
03-3431-2211
http://www.shiba-eitaro.com/
帰宅後。散歩の余韻を楽しみながら、榮太樓さんから持ち帰った「江の嶋」の包みをあけてみました。アワビにカキ、ホタテ…小さな貝殻のフォルムがとってもかわいくて、まるで乙姫さまのコレクションのよう。
ほおばると、すっきりとした上品な餡の甘みがふわり。餅米の皮のパリッと香ばしいところもたまらず、気がつけば一つ、また一つと手が伸びていました。
長い歳月にわたって芝大門の街に根付いてきた更科布屋。そのご当主である金子さんとともに街をめぐるのは、まるで街の表層から秘められた深部へともぐる冒険のようでした。ぜひこのユニークな街で歴史の流れを体感してみてください。
取材・文:矢口あやは
写真:斉藤美春