古典から詩歌、エンターテインメントまで、東京には文学の舞台となった場所がたくさんあります。そうした“聖地”を書評家/ライター/文学系YouTuberの渡辺祐真(スケザネ)さんにセレクトいただきご紹介するコーナー。
スケザネさんの文学系スポット解説と、実際に街巡りをした現地レポートを合わせてお届けします。第1回は文学の中でも特に近代文学の聖地が多く集まる浅草界隈。
渡辺祐真さん
書評家、書評系YouTuber
文学散歩ナビゲーター
東京のゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、
平安時代随一のプレイボーイの名を冠した「業平橋」
今回の文学散歩は、浅草から隅田川を渡ったスカイツリーの麓付近、東大横川親水公園からスタートした。とてものどかで平和的な雰囲気のこの公園。芝生の広場ではシニアのみなさんがインストラクターの動きに合わせて体操をし、花壇の横を保育園の子どもたちが通り過ぎていく。
江戸時代に開削されて水路として活用されていた大横川を埋め立てて、人工のせせらぎや釣り堀などを設けた全長1.8kmの公園の北端にかかっているのが「業平橋」(地図①)である。
こちらは公園内にある「釣り場」。ヘラブナやマブナが放流されている。年末年始以外は毎日開いていて料金は無料、釣った魚は持ち帰り禁止。平日朝10時にもかかわらず、常連さんらしき年輩の紳士たちで賑わっていた。
体操のご老人も釣り師のみなさんも、誰ひとりとして間近のスカイツリーを一切気にしていないのであった。
かつて川だった公園の上をまたぐ浅草通りを10分ほど歩けば隅田川に出る。
隅田川の両岸に位置する「隅田公園」で句碑探し
フィリップ・スタルクがデザインしたニュルッとしたオブジェでおなじみのアサヒビール本社の脇を通り、勝海舟像が佇む墨田区役所前をすぎる。ここだけ高層ビルが林立するエリアを抜けてパッと視界が広がったところが「隅田公園」(地図②)だ。
隅田公園には、いくつの句碑が佇立している。わけても、俳句の基礎を作り上げた正岡子規による「雪の日の 隅田は青し 都鳥」の碑と、三大童謡詩人の1人である野口雨情による「都鳥さへ夜長のころは水に歌書く夢も見る」の碑は必見だ。
江戸時代には水戸徳川家の下屋敷があった場所で、その遺構が日本庭園になっている。池に足の長い鳥が休んでいたりして、とても美しく心落ち着く場所だ。この隅田公園の中には、歴史的・文学的な見どころがたくさんある。
だが、チャチャッと見ようとすると痛い目に遭う。墨田区役所のおとなりだけが隅田公園ではないのだ。広々した水戸下屋敷跡は、いわば“入口”。公園はここからヒュッと細まって、川に沿って約1km続くのである。そしていい文学碑はその“奥”のほうにある。だけでなく、隅田川の対岸にも同じ隅田公園があり、そちらも“奥”のほうにいい碑が。結構な歩数を求められるので、散策がてら巡るような余裕は必要かも。
隅田川を渡ると浅草だ。隅田公園入口の東武線鉄橋沿いの「すみだリバーウォーク」で浅草に向かうのも、ニューヨークのブルックリン橋っぽくて気持ちいいのだが、文学散歩なので在原業平っぽい言問橋から。
浅草神社と浅草寺には文学やエンタメに関連する石碑が多数
5分も歩けば「浅草寺」にたどり着く。おなじみの雷門から仲見世を経由するのではなく、東門にあたる二天門から境内に入る。本堂の右手に出くわすかたちで、さらに右を向くと「浅草神社」(地図③)の鳥居。まるでお寺の境内に神社があるようだ。
浅草寺と浅草神社は深く関わりあっている。浅草神社は三社さまとして親しまれ、その例大祭が江戸三大祭として知られる「三社祭」だ。この三社というのが、隅田川の漁師であった檜前浜成・武成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟と、浅草の知識人・土師真中知(はじのまなかち)の3人。
兄弟の網に何度も同じ観音像がかかり、土師真中知に相談したことをきっかけに浅草寺が建てられたといわれている。浅草神社はつまり、浅草寺のルーツとなった3人を権現として祀った神社なのだ。
三社祭が行われていない普段の浅草神社は小ぢんまりしてかわいいのであった。期間限定でカラフルな花で満たされていた手水は、まるでカフェのような佇まい。
社殿に描かれた麒麟や飛龍など神獣の、朱色×黄色×寒色系のコントラストが美しい。徳川家光の寄進によるものだそうで、重要文化財に指定されている。
こぢんまりとした境内には、演劇人の句碑がいくつも見られた。
浅草神社にある碑文の中で、特に、注目したいのは久保田万太郎の句碑だ。久保田は浅草で生まれ、浅草で育ち、『浅草風土記』など浅草にまつわる著作も多い俳人である。碑に刻まれているのは、「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」。初句では、「竹馬の友」という言葉の通り、子供たちが竹馬で遊び姿がくっきりと浮かぶ。次に、ひらがなで続く「いろはにほへとちりぢりに」は、俳人の恩田侑布子によれば、子どもたちの遊ぶ様子、彼らが大人になって散り散りとなった様子、その別れへの感慨、典拠となるいろは歌の無常観など、複層的に意味を読みとれるという。
この一句から、浅草を愛し続けた久保田の終生に思いを馳せてはいかがだろうか。
●浅草神社
東京都台東区浅草2-3-1
03-3844-1575
https://www.asakusajinja.jp
そして浅草寺(地図④)にお参りする。本堂では、お賽銭箱には長い列が伸びていた。われわれの前には、シニア世代のご夫婦から、女子高生の二人組、大学生っぽいカップルまで老若男女、さまざまな世代で賑わっていた。
お参り後に本堂の中でおみくじを引く。浅草寺のおみくじは凶がよく出ることで有名だが、出たのは末吉。ちょっと残念だ。あとで調べたところ、日経電子版の「トラベルセレクション」2016年6月21日の記事にこんなデータがあった。「100本のうち『大吉17本、吉35本、半吉5本、小吉4本、末小吉3本、末吉6本、凶30本』」。なるほど、レア度でいうなら末吉はまあまあ悪くないのであった。
本堂から出て西側に向かって歩いて行くと、境内の一角にいろいろな碑が集まっている場所があった。芭蕉の句に、無声映画時代の弁士を讃えたもの、大正時代の喜劇王・曾我廼家五九郎、日本のモダンダンスの先駆者・石井漠などなど。非常にエンタメ感が強い碑たちが集っている。
この一帯は江戸時代、大道芸人や見世物小屋で賑わう「奥山」と呼ばれる場所だったらしい。それにちなんで「新奥山」と呼ばれ、ちょっとした石碑のパラダイスのような場所になっている。
浅草寺の鐘を詠んだ有名な句に、松尾芭蕉「花の雲 鐘は上野か 浅草か」がある。今いるのが浅草なのか、上野なのかわからなくなる、そんな心と身体が連れ去られるような不思議な感覚になるのが浅草寺という場所なのかもしれない。
また、落語「粗忽長屋」も舞台は浅草寺。そうした惑いの感覚がトリックとなった、可笑しくも、不気味な古典落語だ。小野不由美による伝奇物『東京異聞』でも、全身火だるまの火炎魔人が浅草寺の鐘楼で怪事件を引き起こす。
●浅草寺
東京都台東区浅草2-3-1
03-3842-0181
https://www.senso-ji.jp/
浅草寺を西参道のほうに出ればすぐに、日本最古の遊園地として知られる「浅草花やしき」(地図⑤)と書かれたの黄色い塔が見えた。
数多くの文学作品や映画などに登場する浅草花やしきだが、特に印象深いのは、東野圭吾『時生』。物語は緊迫した病室から幕を開ける。不治の病を患った高校生の息子が危篤となり、暗い思いに沈む両親。そんな中、主人公である夫が二十年以上前に息子と会ったのだと告げる。信じられないと問い返す妻に、夫は浅草花やしきから始まった壮大な物語を語るのだった…。最後まで読んだ時、思わず浅草花やしきへと駆け出したくなるだろう。
●浅草花やしき
東京都台東区浅草2-28-1
03-3842-8780
https://www.hanayashiki.net/
凌雲閣跡地からエンタメの中心地・六区ブロードウェイへ
花やしき通りを抜けると、「凌雲閣」記念碑(地図⑥)が控えめに立っているのを見ることができる。いまはスーパー「オーケーストア」の軒先にあたる。
明治23年に建てられ、「浅草十二階」と異名をとった12階建て52メートルの展望タワーがここにあったという。10階までがレンガ造りで、その上部2階が木造という構造。NHK大河ドラマ『いだてん』でも描かれていたが、関東大震災で半壊し、その後解体された。
東京の象徴的建物。近年であれば東京スカイツリーだし、昭和期であれば東京タワーになるだろう。明治・大正にそうしたものを求めるなら「凌雲閣」ではないだろうか。大正時代を舞台にした『鬼滅の刃』で、主人公の炭次郎が宿敵の鬼舞辻無惨と相まみえる時に、遠く霞んでいるのを記憶している人も多いだろう。また、石川啄木『一握の砂』には「浅草の 凌雲閣にかけのぼり 息がきれしに 飛び下りかねき」という、身体感覚を通してその高さを実感する名歌がある。
さて、この近辺がいわゆる浅草六区。江戸時代に「奥山」で盛り上がっていた見世物小屋や大道芸人の賑わいに取って代わって、芝居小屋や寄席が建ち並んで日本の興行の中心地として大いに栄えた。
今も界隈には、「ハレ」のムードが漂っている。半襟のかわりにレースのひらひらを付けたレンタル着物の女子たちや、デートするカップルたちが闊歩し、平日っぽさはみじんもない。昼間から飲める店がいくつも並んでいて、うまそうな煙や湯気を発している。「お席空いてますよ! 今なら背もたれ付きのお席にご案内できます!」なんて誘い文句につい吸い込まれそうになる。
六区通りの街灯には浅草ゆかりの芸人の写真とプロフィールが掲げられ、街を見下ろしている。渥美清や内海桂子・好江らに文豪・永井荷風も混じって飾られていた。
そして六区通りと凌雲閣に通ずる六区ブロードウェイの角に「浅草フランス座演芸場東洋館」(地図⑦)がある。
劇団ひとり監督作品『浅草キッド』の舞台になった浅草フランス座演芸場東洋館。作家の永井荷風も通い詰め、「フランス座」という名称を付けたほどだ。
更に縁が深かったのは、井上ひさし。彼はここで劇作家としてのキャリアをスタートさせた。同時代には「男はつらいよ」でおなじみの渥美清も役者として在籍しており、『浅草フランス座の時間』に収録された二人の対談では、青春時代の泥臭くも熱い話から、ストリップを見に来た客を引き付けるために駆使したテクニックまで、この2人の天才がいかにフランス座で鍛えられたのかが伺える。
なお、井上が直木賞を受賞した年にやってきたのが若き北野武であり、井上は「ものすごい不機嫌な青年がいた」と懐かしそうに語っている。
ストリップ劇場として昭和26(1951)年に開業し、幕間のコントや軽演劇が評判となって、昭和34(1959)年に「東洋劇場」が誕生。渥美清、長門勇、由利徹、東八郎といったスター喜劇俳優はここで注目を集めたという。現在は、落語も含めたあらゆる演芸の公演が行われる都内で唯一の「いろもの寄席」だ。
ちなみに同じ建物に浅草演芸ホールがあり、こちらでは落語の公演が行われている。この日、撮影していたら鈴々舎馬風師匠が弟子に見送られ、颯爽とタクシーで寄席をあとにする姿が見られた。
●浅草フランス座演芸場東洋館
東京都台東区浅草1-43-12
03-3841-6631
https://www.asakusatoyokan.com/
浅草公会堂前でスターの手形を鑑賞後、天ぷらの老舗「中清」へ
もうひとつ浅草の芸能の聖地といえば「浅草公会堂」。伝統芸能からコンサートまでさまざまな催しが開かれるホールだが、何より行くだけで楽しめるのが「スターの広場」。浅草ゆかりの著名人の手形とサインがホールの軒先をびっしり埋め尽くす、いわば浅草版「チャイニーズ・シアター」なのだ。しかもちゃんと立体で手相も浮かび上がっている。「三國連太郎の手デカいなー」とか「美空ひばりは華奢だね」なんて、触って比べて楽しむこともできる。ひばりちゃんの右側に手形を残しているのが、なんと池波正太郎。
そしてこの公会堂の向かいの奥まったところに建つどっしりした蔵造りが江戸前天ぷらの店「中清」(地図⑧)だ。浅草公会堂前の「オレンジ通り」から石畳をおおよそ30歩行けば軒先にたどり着く。それは、明治3(1870)年創業のこの老舗への小さなタイムトリップ。
浅草をひいきにしていた文人・池波正太郎は中清の常連でもあった。「新年の私」とういう文章では、大晦日に友人たちと必ず訪れていたことを思い出深げに語っているし、「鰻」という文章では「ふところがあたたかいときは、浅草の〔中清〕のてんぷら」と、一切惜しむことなく、その贔屓が綴られている。
中清には数寄屋造りの離れがあり、池を愛でつつ創業当時から変わらぬ江戸前の味に舌鼓を打つことができる。
身を寄せ合って1カ所に固まっている池の鯉たちの、ちょっとやそっとじゃ動かないっぷりが、見ていてなんともかわいらしい。ただ、女将さんが餌を携えて現れると彼らのテンションは一気に上がるらしい。
●中清
東京都台東区浅草1−39−13
03-3841-4015
http://nakasei.biz/
※店舗の詳細はこちら
文学散歩の終わりは浅草ゆかりの作家・池波正太郎の世界に浸る
最後にもう1カ所、池波正太郎ゆかりの場所を訪れようと、合羽橋の端にある台東区立中央図書館へ。ここに「池波正太郎記念文庫」(地図⑨)がある。
浅草に点在しているさまざまな文人や作品ゆかりの場所を見ながら街を歩き回るのも楽しいが、ここでは1カ所でみっちり“池波漬け”になることができる。
池波正太郎は浅草生まれ浅草育ちの作家だ。
『鬼平犯科帳』や『剣客商売』といった時代小説の傑作を世に送り出し、食と旅を愛し、数々の芸術や所作を通してダンディズムの美学を重んじ、更には絵描きとしての一面まで持ち合わせる。
正に文豪と称するのにふさわしい人物だった。
浅草に記念館があることからもわかる通り、浅草をこよなく愛し、浅草にある数々の名店を贔屓にしていたのはもちろんのこと、作品の舞台にしていることもしばしばだ。『剣客商売』で重要な舞台となる料亭「不二楼」は橋場の川沿いに、同作の中心人物である秋山大治郎の道場は真崎稲荷神社の近くにある設定になっている。
書斎が再現され、デスクに画材にステレオにベニー・グッドマンのLPレコード。朱を入れた肉筆の原稿に、筆のタッチ生々しい水彩画。巨大な江戸の古地図には、作品ゆかりの場所が記されている。
ここを起点に「東京池波聖地散歩」もできるだろう。ただ、館内撮影不可。何度も通ってきっちりメモって味わい尽くす、みたいな姿勢が文学散歩にはお似合いかもしれない。
●池波正太郎記念文庫
東京都台東区西浅草3-25-16 台東区生涯学習センター 台東区立中央図書館内
03-5246-5915
https://library.city.taito.lg.jp/ikenami/
浅草界隈の懐はとっても深い。グルメあり寺社仏閣あり、観光名所あり、ショッピングありで、ノープランでふらっと訪れて一日たっぷり楽しめる。
そこにさらに“文学散歩”という別のフィルターをかけてみると、あらためて浅草のすごさを実感。古典から俳句、大衆文学、演劇、演芸、コミックと、非常に多様な“文学”の痕跡が残されていたわけで、“一日たっぷり”でも全然楽しみ尽くせないほど。
そんな新たな視点を少し携えて歩けば、街はもっと面白くなる。よく知る街も、もしかしたら地元でもこれまで知らなかった顔を見せてくれるかもしれません。
取材・文:武田篤典(スチーム)
写真:大久保 聡
文学作品解説:渡辺祐真
東京スカイツリーの建設を機に改称された「とうきょうスカイツリー駅」。それ以前は「業平橋駅」という名であった。というのも、平安時代を代表する『伊勢物語』のクライマックスの舞台がこの地であり、その主人公こそ在原業平。平安時代を代表するイケメンでありプレイボーイとして知られている。そうした縁から、この地には「業平」と名の付く場所が多く、業平による「名にしおはばいざこと問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌にちなんで、この地で詠まれた和歌には「都鳥」がよく詠み込まれるのである。