Tokyo

04/27 (土)

【第18回】古くから食べられてきた「そばがき」の作り方

「天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。

※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

伝統的なそばがきの食べ方・作り方

蕎麦粉をお湯で溶いた「そばがき」は、蕎麦の実を加工した中では(実のままの食べ方ではそば雑炊やそのまま食べる事があったと思います)蕎麦の一番古い食べ方でしょう。
「蕎麦かいもち」と呼ばれ、掻いたものをそのまま食べたり、棒に塗りつけて焼いたり、平べったく餅のような形にして焼いたりして食べられていました。


そばがきの作り方は、1750年の「料理山海郷」によると、蕎麦粉を鍋の中でお湯で堅く練ってその上へ水を一杯入れて火に掛け、焚く。これは蕎麦のアクを取るための作業で、それからこの茹で湯を捨てもう一度練りなおす。その時、しゃもじで練ってはいけない。女竹をキセルの羅宇(キセルの煙道のこと)くらいの長さに切ったものがよろしい。食べる時は白湯を熱く沸かしお椀に入れ
そば練りを玉子ほどの大きさに取り分け湯に浮かして出すと記されています。


蕎麦掻きの作り方には、こうした「粉の中へお湯を入れる」方法と、「お湯の中へ蕎麦粉」を入れる二通りの方法があります。 現在の蕎麦屋では後者を取る店が多いようです。この方が仕事が速く、ふっくりと仕上がるからで、お湯の量と蕎麦粉の量をあらかじめ計っておくので、間違いがありません。

現在に伝わる2 種類のそばがきの作り方

お湯と蕎麦粉の配合比率は、1対1でも良いのですが、口伝では「お湯一合に蕎麦粉八勺」となっており、お湯の方が180mlと2割多く、蕎麦粉は150mlと少なくなっており、これが1人前の分量です。


作り方は、お湯を行平鍋に入れ、火に掛けて沸騰させ、そこへ蕎麦粉を全量ぱっと入れ、
短いすりこぎで手早くかき回し、火から下ろして、しっかりした台の上に移し、さらに力一杯かき混ぜます。
この方法ですと、水分の行き渡らぬ部分が出ず、全体に早く火がとおりますので、2度茹でも早くいきとどきます。この作り方を「地獄」と呼んでいます。


もう一つはよく知られた作り方で、蕎麦粉を鍋の中に入れ、上から熱湯をそそいで捏ねる方法です。
この方法は粉がなかなかお湯に馴染まず、入れるお湯の分量も、やかんから直に入れたりすると、多すぎたり、少なすぎたりします。練り上げるのにも時間がかかるでしょう。


両者とも練り上がった後、書物にある「玉子大に取り分ける」方法では、薬味皿を一枚としゃもじを使い、しゃもじでそばがきを玉子大しゃくい上げて、それを薬味皿に縁にぎゅっと押しつけると、ギョーザのような形になりますから、それを鍋のお湯の中へ泳がせます。皿がぬれていると、そばがきは皿にくっつかず、お湯の中へ落ちます。これを繰り返して、全部を入れたら、今度は浮いたものからそばがき用の容器に移して、お出しします。


また江戸の老舗では、当店の様に「木の葉型」にして出す店も多くあります。箸で葉の模様に沿って切っていただく食べ方となりますが、この方がやはり見栄えがいいように思います。


いずれにもせよ、粉っぽいそばがきは完成品ではありません。
寒さ厳しくなるこの時期、ご家庭でもお試しになってはいかがでしょうか。

金子栄一さん

芝大門 更科布屋 布屋萬吉こと7代目ご当主

この記事を書いたのは...

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。

更科布屋ホームページ

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