「喜劇王」曽我廼家五郎の生涯と業績をたどる
曽我廼家五郎(そがのや・ごろう、1877年〜1948年)は、歌舞伎の下廻りだった同僚の十郎とともに1904年、道頓堀・浪花座で「改良大喜劇」と称して曽我の家十郎・五郎一座を旗揚げし、明治末期の日本に「喜劇団」ブームが起きるきっかけを作った人物です。五郎劇と呼ばれたその作品や上演は、現在の松竹新喜劇の人情喜劇の系譜に継承されているとはいえ、今ではその名を知る人は少なくなりました。この展示では、戦前の東京大阪の商家で「歌舞伎に行こうか五郎劇に行こうか」と言われたほどの人気と格式を誇った五郎劇の概要を紹介しながら、国立劇場所蔵の遺品を中心に、かつての「喜劇王」曽我廼家五郎の生涯と業績をたどります。