浅草に息づくサンバ祭典
戦後、日本には多様な音楽が紹介され、ジャズやロカビリー、マンボやルンバと並び、軽快なリズムと自由な踊りが魅力のサンバも広く受け入れられました。1970年代後半、劇場街として名を馳せた「浅草六区」はテレビの普及により活気が薄れ始めていましたが、喜劇俳優・伴淳三郎氏の提案により「浅草サンバカーニバル」が誕生したと伝えられています。
「常に新しい文化を浅草に」という“浅草っ子気質”を原動力に、1981年に始まったこのイベントは、当初は仮装コンテストの色合いが濃いものでした。しかし年を重ねるごとに、楽器や衣装に工夫を凝らし、サンバを本格的に追求するチームが増加。リオのカーニバルを手本とした努力も加わり、現在では北半球最大級のサンバカーニバルへと発展しました。
一日限りの開催ながら、近年は約50万人が訪れ、馬道通りから雷門通りを舞台に、参加チームは規模に応じて分類されます。審査は表現力や衣装、演奏、ダンスといった要素で行われ、熱気あふれるコンテスト形式で優勝を競い合っています。
(画像は©️浅草サンバカーニバル実行委員会)