1881(明治14)年に明治の民権家・千葉卓三郎と旧五日市町(現あきる野市五日市)の青年らによって起草された「五日市憲法草案」は、自由民権思想にあふれた非常に民主的な内容をもつ私擬憲法草案として知られています。このことが広く知られるようになったのは、1968(昭和43)年にあきる野市五日市の旧家の土蔵で草案が見つかり、その存在が明らかになってからのことです。その後、草案の起草者の千葉が校長を務めていた五日市小学校の近くに、後世の人々に広く知ってもらうために草案の概要を説明する石碑が建てられました。社会科の教科書にも写真が掲載されている歴史的なモニュメントです。
五日市憲法草案の碑(東京・あきる野)(いつかいちけんぽうそうあんのひ/The Monument for the Draft of Itsukaichi Kenpo)
スポット概要Outline
住所 | 東京都あきる野市五日市409-2(五日市中学校敷地内)※石碑見学希望者は校庭一角にある専用の入口から自由に出入り可能 |
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アクセス |
JR五日市線武蔵五日市駅から徒歩10分
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外部リンク |
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創立・開業 | 1881(明治14)年 |
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