銀座 業務を改善するのは、お客様と向き合うため。銀座の老舗洋食店「銀座みかわや」が大切にしていること 洋食 明治20年(1887年)、銀座に開業した三河屋食料品店。それが終戦の混乱期にフランス料理 みかわやとして再興し、現在の「銀座みかわや」になりました。味わえるのは絶品の洋食。ご贔屓にするお客様が多く、お店は日々賑わいを見せています。そんな銀座みかわやの四代目ご当主、渡仲晋平さんにお話を伺いました。まずはお店のご紹介をお願いします。 私ども「銀座みかわや」は、銀座4丁目で洋食店を営んでおります。洋食店としては戦後、昭和23年、1948年から営業しておりますが、このみかわやという屋号、これ自体は明治20年、1887年に食料品卸店で開業された時のもので、136年になるかと思います。洋食店としては75年です。私はみかわやの四代目店主として、現在店に立っておりまして、主にサービスを対応させていただいています。ありがとうございます。当時洋食店ができた頃というのは、どのような状況でしたでしょうか?洋食店としてスタートした時は戦後の混乱期ということもあり、物資も乏しい中で営業していたと聞いています。かつ、フランス料理みかわやとしてスタートしておりますので、当時まだそういったものが認知されてないという中で、かなり経営が苦しかったそうです。その頃というのは本当にもうフランス料理が入ってきてすぐみたいな時期ですね。そうです。西洋のお料理そのものは、歴史的には100年以上前からありましたが、やはり大きく動いたのは戦前戦後あたりです。「洋食」というものが、当時は西洋料理という名で国内に知れ渡っているんですが、やはり慣れませんから、どうしても日本人が食べやすい形になってきます。その結果、本国の料理とだいぶ形の変わった料理となり、今ではもう「洋食」という1ジャンルに成り代わったという形ですね。もともとは西洋料理として、西洋の人が持ち込んだものですが、日本で普及するにあたり、日本人の口に合うような形になっていったということですか。そうですね。近しいものでいくと、今はもうジャンル的には和食の1ジャンルになっているので、ラーメンなどに近いイメージと考えても良いかと思います。もともとラーメンは中国で生まれたものですからね。そうですね、「ラーメン」という名前ではなかったかもしれませんが、麺料理として中国で生まれたものが日本で定着して、こういう形になったと。そのようなみかわやさんですが、もう少しご当代のお話も伺います。渡仲さんはもともとみかわやさんのお家に生まれて、幼い時はお店のこととか、お家のことはどういう風に見ていらっしゃいましたか。小さい頃は、あまり商売のことを気にしたことはありませんでした。というのも、お店は銀座にありますが、私は生まれも育ちも神奈川県の横浜です。祖父が洋食店の一代目になりますが、横浜から通っていたのです。お店が隣にあるわけではないということもあり、仕事をしている現場をじかに見られたわけではないので、「生活の一部だったか」と言われると全く違った存在だったかと思います。そうですね、今までいろいろな老舗のお話を伺っていると、工房が横にあったとか、毎日あんこを作っている脇を通りながら学校に行きました、といった話が多いです。職人さんが、何かの削り方を教えてくれる、みたいな話もある中で、少し離れた場所にあった。そうですね。銀座で店をやっていたっていうこと自体は認識していましたが、横浜と東京は距離がありますから、そう簡単に行ける場所でもありません。どちらかといえば祖父が銀座にいて……私はおじいちゃん子で、とても可愛がられて、それに甘えていたこともあり「行けば会って遊んでもらえる」という認識ぐらいしかなかったのが実のところです。月に1回の頻度でおじいちゃんのところに行く、みたいな感じですか。そこまでの頻度ではなかったと思います。というのも、祖父が亡くなったのは私が12歳のときですから、小学生だとそう簡単にあちこち出かけられないものもあって、年間におそらく2度3度くらい、電車に乗ってそこまで行くくらいです。でも一つの小さな旅っていうと大げさですが、楽しみの一つではありました。成人するにつれてどこかで、みかわやを意識したんでしょうか。そうですね。父も、みかわやでやっていまして。「食に携わってお店を構えている」というのは、12歳より上の年齢になると、家でたまに父が腕を振るったりしたときに感じることがありました。お客様にお出しできないものもあったりしますから、そういったものを工夫しながら食卓に並べてくれたりしました。そのいうときに、やはりみかわやというお店で、父は仕事をしているんだと感じましたね。社会人になるまで、自分が継ぐことはないと思っていたその後、みかわやさんに入ることは、いつ頃から考えていましたか。実は店に入ろうと自分から思って、という成り行きではなかったのです。おじがその後、お店の二代目としてやっていくのですが。いとこにも男兄弟がいましたし、そのいとこも当時お店にいました。父からは、お前が店を継ぐことはないから、外で仕事しなさいということで、当時はみかわやの「み」の字も出てこなかったのです。かなり意外な展開というか。皆さんから今まで聞いてきた感じと違う展開です。もう継がなくてもいいよ、という話ですね?はい。もう自分で生計を立てなさいということで、サラリーマンをやっていたんですね。転機は、サラリーマン8年目のときです。私がちょうど単身で地方に転勤になるという話が持ち上がったときに、みかわやの方でも動きがありました。おじが体調を崩したのもあり、父に代わっていたんですが、店もバブルのあおりでかなり苦しい時期がありました。父も当時60歳を超え、店の将来を考えていました。実は店に勤めていたいとこが辞めてしまい、後継者がいないという話になったのです。そんなことがあったのですね。結局、後継者がいない状態になり、それがちょうど私の転勤の話が持ち上がって、私が二つ返事で「行きます」と言った直後だったものですから、困ってしまいました。どうしようかという中で、私は継ぐことを何度かお断りしましたが、するとあっさりと「最終的に後を継ぐ人がいないのなら、このまま店を辞めちゃおう」という話が出てきてしまいました。それはちょっと待ってほしいと。大好きな祖父がここまでにした店を、そんな理由で辞めてしまうのかという話になり、当時の会社とも話をして、最終的にみかわやに行く決断をしました。そのお勤め先の会社は、転勤に行こうかと思うぐらいなので、別に居心地が悪かったわけでもないですね?まったく逆です。8年間同じところにいたものですから馴れが出る頃で、ちょうどそのタイミングの転勤話に「リセットできる」と思ったのです。だから何の迷いもなく承諾したのですが、そこで後継ぎの話が出てきたものですから、かなり動揺しました。どんなお仕事だったか、伺ってもいいですか。はい。食品の卸と製造をやっている会社で、営業をしていました。当時やっていたことが、今に生かされていることはありますか?ありますね。飲食と営業とは全く業態も違いますが、食材に対しての知識というか、目線というのか。10年もいるとだいぶ変わってきたと思います。物の見方が、全然違ってくるというのはあります。例えば、物の善し悪しが分かったり?特に私がいた会社は農業系の企業のこともあって、農協さんとお話する人も結構多かったのです。野菜やコメや果物の出来不出来の話も良くしていたので、そういうのを目の当たりにする今の仕事に入ったときに、食材1つ1つに対しての思いが違います。こういう天候だったからこういう出来なんだとか、こういう状況だから物が入らないのは仕方がないとか、一定の理解も得られる。そういったところが今に生きているのかなと思います。そうですね、今はお店を経営する側なので、逆にそこにサプライする側の立場で働かれていたということですから、その立場でどういう気持ちで営業に来ているかとか、食材をレストランさんに届けているかというところが理解できるって、結構大事ですね。そうですね。どうしても自然相手のものなので、「どうしても駄目」という場合があるんです。ただ、私も営業をやっていたこともあるので、適当な嘘をつく業者さんとかだと、見抜けてしまうんです。そういう人には、厳しく当たっています。わかります。私も営業でしたので、「営業され弱い」というか。本当にずるい人は絶対駄目ですが、一生懸命言ってこられると、「今日は何かを発注してあげたいな」って気持ちになりますね。わかります。特別扱いをしてしまいますね。同じ営業の立場として、「この人たちは本気でやっている」と分かってしまうのでね。これが好きで、本当にこれを良いと思っていて、お客さんの役にもこうやって立てると思うんです、というのを一生懸命言ってきて、「どうにか」って言われると弱いです。全く同じです。大事にしているのは「人様に迷惑をかけない」ことそんな渡仲さんのお宅には、家訓みたいなものはありましたか?うちは父も母も、比較的自由に育ててくれました。だからあまり「これ」というものを持ってここまで来たことはないですが、ただ昔からよく言われていたのは、人様に迷惑かけてはいけないよ、という言葉です。自分よりも周りの人のことを先に考えて行動する性格になったのは、その影響かなと思います。それは大事です。皆、そういったことを言われないで育てば、自分のことを第一に考えるのが普通ですから。そうです。だから今も、自分はどうなってもいいから、とにかく周囲の人がきちっとなるようにしてから自分のことを、という考え方は習慣付いています。今時代としても、求められる経営スタンスもそちら側に近づいているので、逆にそれが今の時代にフィットしているんじゃないか思います。そう評価いただけるとありがたいですね。では、初代のおじい様からご当代の渡仲さんの代まで至るまでに、どのようなイノベーションがあったのかも聞かせていただけますか?そうですね。先ほどジャンルのお話もさせていただきましたが、そもそも洋食ということ自体が一つのイノベーションでもあります。もともと西洋料理というところから、洋食に革新していきました。われわれの店は、どちらかというと西洋料理から洋食へ変化していったものの、最初の頃の部分を大事にしてやっているので、イノベーションという大きなお題目からすればやっていることは、ほぼ逆に近い感じだと思います。昭和の黎明期のものを今に伝えるということを大事にしています。私の代で言いますと、私が外に出ていたこともありますが、うちのスタッフは長く勤めている人間が非常に多く、するとやはり「今やっていることでいいのだ」「このままでいいのだ」と思い込んでいるスタッフが多いんです。そのため、私から見ると、「なぜこのようなことをやっているのか」と疑問に思うことが目につきます。そういったものを今、一つひとつ変えています。表向きには変わらないようにしつつ、中を変えることで、携わるスタッフがより仕事に専念できるような環境を作っていきたいと思っています。いわゆる内側のイノベーションを進めている感じです。そうですね、ご当代はいわゆるホール側というサービスサイドに日々お立ちになられていますが、やはりそうしたスタッフの士気とか、考え方とかが大事なのでしょうね。もうそこはとても意識しますね。スタッフあってのお店という意識はあります。私1人でできることは限度がありますし。スタッフによく言うのは、お客様から名前を覚えていただいたり、逆に我々が名前を覚えたりして親しくなることがあるのですが、それが特定のスタッフではなく、全てのスタッフが同じように接することができるようにしていきたいと。お客様に支えていただいてここまでこの店を維持できたという自覚もありますし、我々もお客様をこれからも大切にしていかなければいけないので、そのためには、そちらに専念できる環境を作っていかなければなりません。それが私の使命と思っています。具体的にどういう取り組みをなさっていますか。細かい作業ですね。そういったものを完全に切り離してみたり。あとは誤発注で手間がかかったりするとそちらで気を揉んでしまうので、デジタル発注するなどです。今まで整備がなされずに何となく馴れ合いでやってきた部分が多かったので、そこをきちっとしました。それによって事故が少なくなります。心の中であれも心配、これも心配、それも心配となると進みませんからね。そうです。うまく動けません。心配事を考えながらお客様と接していたら、恐らく話の内容など全く耳に入ってこないでしょう。「あの人、何も聞いてくれない」などと失礼なことになります。「さっき言いましたよね?」などという事態になれば、ホールとしてはいけません。やはりそこはお客様がどういうつもりでおっしゃっていただいたか、把握しなければいけませんね。全力で目的に向かっていけるよう、余分なものは1回切り離して、整理をして、まとめてもう1回きちっとした形で戻すというのを繰り返し繰り返し、細々したことですがやっています。細かい作業の効率化を図る。そのイノベーションによってもたらされるのは、よりお客様のことに集中できる環境です。それによって「銀座みかわや」は一人ひとりのお客様のことを把握でき、厚い信頼関係を築けるようになったのです。後編へ続く※この対談を動画で見たい方はコチラ 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私ども「銀座みかわや」は、銀座4丁目で洋食店を営んでおります。洋食店としては戦後、昭和23年、1948年から営業しておりますが、このみかわやという屋号、これ自体は明治20年、1887年に食料品卸店で開業された時のもので、136年になるかと思います。洋食店としては75年です。私はみかわやの四代目店主として、現在店に立っておりまして、主にサービスを対応させていただいています。
ありがとうございます。当時洋食店ができた頃というのは、どのような状況でしたでしょうか?
洋食店としてスタートした時は戦後の混乱期ということもあり、物資も乏しい中で営業していたと聞いています。かつ、フランス料理みかわやとしてスタートしておりますので、当時まだそういったものが認知されてないという中で、かなり経営が苦しかったそうです。
その頃というのは本当にもうフランス料理が入ってきてすぐみたいな時期ですね。
そうです。西洋のお料理そのものは、歴史的には100年以上前からありましたが、やはり大きく動いたのは戦前戦後あたりです。「洋食」というものが、当時は西洋料理という名で国内に知れ渡っているんですが、やはり慣れませんから、どうしても日本人が食べやすい形になってきます。その結果、本国の料理とだいぶ形の変わった料理となり、今ではもう「洋食」という1ジャンルに成り代わったという形ですね。
もともとは西洋料理として、西洋の人が持ち込んだものですが、日本で普及するにあたり、日本人の口に合うような形になっていったということですか。
そうですね。近しいものでいくと、今はもうジャンル的には和食の1ジャンルになっているので、ラーメンなどに近いイメージと考えても良いかと思います。
もともとラーメンは中国で生まれたものですからね。
そうですね、「ラーメン」という名前ではなかったかもしれませんが、麺料理として中国で生まれたものが日本で定着して、こういう形になったと。
そのようなみかわやさんですが、もう少しご当代のお話も伺います。渡仲さんはもともとみかわやさんのお家に生まれて、幼い時はお店のこととか、お家のことはどういう風に見ていらっしゃいましたか。
小さい頃は、あまり商売のことを気にしたことはありませんでした。というのも、お店は銀座にありますが、私は生まれも育ちも神奈川県の横浜です。祖父が洋食店の一代目になりますが、横浜から通っていたのです。お店が隣にあるわけではないということもあり、仕事をしている現場をじかに見られたわけではないので、「生活の一部だったか」と言われると全く違った存在だったかと思います。
そうですね、今までいろいろな老舗のお話を伺っていると、工房が横にあったとか、毎日あんこを作っている脇を通りながら学校に行きました、といった話が多いです。職人さんが、何かの削り方を教えてくれる、みたいな話もある中で、少し離れた場所にあった。
そうですね。銀座で店をやっていたっていうこと自体は認識していましたが、横浜と東京は距離がありますから、そう簡単に行ける場所でもありません。どちらかといえば祖父が銀座にいて……私はおじいちゃん子で、とても可愛がられて、それに甘えていたこともあり「行けば会って遊んでもらえる」という認識ぐらいしかなかったのが実のところです。
月に1回の頻度でおじいちゃんのところに行く、みたいな感じですか。
そこまでの頻度ではなかったと思います。というのも、祖父が亡くなったのは私が12歳のときですから、小学生だとそう簡単にあちこち出かけられないものもあって、年間におそらく2度3度くらい、電車に乗ってそこまで行くくらいです。でも一つの小さな旅っていうと大げさですが、楽しみの一つではありました。
成人するにつれてどこかで、みかわやを意識したんでしょうか。
そうですね。父も、みかわやでやっていまして。「食に携わってお店を構えている」というのは、12歳より上の年齢になると、家でたまに父が腕を振るったりしたときに感じることがありました。お客様にお出しできないものもあったりしますから、そういったものを工夫しながら食卓に並べてくれたりしました。そのいうときに、やはりみかわやというお店で、父は仕事をしているんだと感じましたね。
社会人になるまで、自分が継ぐことはないと思っていた
その後、みかわやさんに入ることは、いつ頃から考えていましたか。
実は店に入ろうと自分から思って、という成り行きではなかったのです。おじがその後、お店の二代目としてやっていくのですが。いとこにも男兄弟がいましたし、そのいとこも当時お店にいました。父からは、お前が店を継ぐことはないから、外で仕事しなさいということで、当時はみかわやの「み」の字も出てこなかったのです。
かなり意外な展開というか。皆さんから今まで聞いてきた感じと違う展開です。もう継がなくてもいいよ、という話ですね?
はい。もう自分で生計を立てなさいということで、サラリーマンをやっていたんですね。転機は、サラリーマン8年目のときです。私がちょうど単身で地方に転勤になるという話が持ち上がったときに、みかわやの方でも動きがありました。おじが体調を崩したのもあり、父に代わっていたんですが、店もバブルのあおりでかなり苦しい時期がありました。父も当時60歳を超え、店の将来を考えていました。実は店に勤めていたいとこが辞めてしまい、後継者がいないという話になったのです。
そんなことがあったのですね。
結局、後継者がいない状態になり、それがちょうど私の転勤の話が持ち上がって、私が二つ返事で「行きます」と言った直後だったものですから、困ってしまいました。どうしようかという中で、私は継ぐことを何度かお断りしましたが、するとあっさりと「最終的に後を継ぐ人がいないのなら、このまま店を辞めちゃおう」という話が出てきてしまいました。それはちょっと待ってほしいと。大好きな祖父がここまでにした店を、そんな理由で辞めてしまうのかという話になり、当時の会社とも話をして、最終的にみかわやに行く決断をしました。
そのお勤め先の会社は、転勤に行こうかと思うぐらいなので、別に居心地が悪かったわけでもないですね?
まったく逆です。8年間同じところにいたものですから馴れが出る頃で、ちょうどそのタイミングの転勤話に「リセットできる」と思ったのです。だから何の迷いもなく承諾したのですが、そこで後継ぎの話が出てきたものですから、かなり動揺しました。
どんなお仕事だったか、伺ってもいいですか。
はい。食品の卸と製造をやっている会社で、営業をしていました。
当時やっていたことが、今に生かされていることはありますか?
ありますね。飲食と営業とは全く業態も違いますが、食材に対しての知識というか、目線というのか。10年もいるとだいぶ変わってきたと思います。物の見方が、全然違ってくるというのはあります。
例えば、物の善し悪しが分かったり?
特に私がいた会社は農業系の企業のこともあって、農協さんとお話する人も結構多かったのです。野菜やコメや果物の出来不出来の話も良くしていたので、そういうのを目の当たりにする今の仕事に入ったときに、食材1つ1つに対しての思いが違います。こういう天候だったからこういう出来なんだとか、こういう状況だから物が入らないのは仕方がないとか、一定の理解も得られる。そういったところが今に生きているのかなと思います。
そうですね、今はお店を経営する側なので、逆にそこにサプライする側の立場で働かれていたということですから、その立場でどういう気持ちで営業に来ているかとか、食材をレストランさんに届けているかというところが理解できるって、結構大事ですね。
そうですね。どうしても自然相手のものなので、「どうしても駄目」という場合があるんです。ただ、私も営業をやっていたこともあるので、適当な嘘をつく業者さんとかだと、見抜けてしまうんです。そういう人には、厳しく当たっています。
わかります。私も営業でしたので、「営業され弱い」というか。本当にずるい人は絶対駄目ですが、一生懸命言ってこられると、「今日は何かを発注してあげたいな」って気持ちになりますね。
わかります。特別扱いをしてしまいますね。同じ営業の立場として、「この人たちは本気でやっている」と分かってしまうのでね。
これが好きで、本当にこれを良いと思っていて、お客さんの役にもこうやって立てると思うんです、というのを一生懸命言ってきて、「どうにか」って言われると弱いです。
全く同じです。
大事にしているのは「人様に迷惑をかけない」こと
そんな渡仲さんのお宅には、家訓みたいなものはありましたか?
うちは父も母も、比較的自由に育ててくれました。だからあまり「これ」というものを持ってここまで来たことはないですが、ただ昔からよく言われていたのは、人様に迷惑かけてはいけないよ、という言葉です。自分よりも周りの人のことを先に考えて行動する性格になったのは、その影響かなと思います。
それは大事です。皆、そういったことを言われないで育てば、自分のことを第一に考えるのが普通ですから。
そうです。だから今も、自分はどうなってもいいから、とにかく周囲の人がきちっとなるようにしてから自分のことを、という考え方は習慣付いています。
今時代としても、求められる経営スタンスもそちら側に近づいているので、逆にそれが今の時代にフィットしているんじゃないか思います。
そう評価いただけるとありがたいですね。
では、初代のおじい様からご当代の渡仲さんの代まで至るまでに、どのようなイノベーションがあったのかも聞かせていただけますか?
そうですね。先ほどジャンルのお話もさせていただきましたが、そもそも洋食ということ自体が一つのイノベーションでもあります。もともと西洋料理というところから、洋食に革新していきました。われわれの店は、どちらかというと西洋料理から洋食へ変化していったものの、最初の頃の部分を大事にしてやっているので、イノベーションという大きなお題目からすればやっていることは、ほぼ逆に近い感じだと思います。昭和の黎明期のものを今に伝えるということを大事にしています。
私の代で言いますと、私が外に出ていたこともありますが、うちのスタッフは長く勤めている人間が非常に多く、するとやはり「今やっていることでいいのだ」「このままでいいのだ」と思い込んでいるスタッフが多いんです。そのため、私から見ると、「なぜこのようなことをやっているのか」と疑問に思うことが目につきます。そういったものを今、一つひとつ変えています。表向きには変わらないようにしつつ、中を変えることで、携わるスタッフがより仕事に専念できるような環境を作っていきたいと思っています。いわゆる内側のイノベーションを進めている感じです。
そうですね、ご当代はいわゆるホール側というサービスサイドに日々お立ちになられていますが、やはりそうしたスタッフの士気とか、考え方とかが大事なのでしょうね。
もうそこはとても意識しますね。スタッフあってのお店という意識はあります。私1人でできることは限度がありますし。スタッフによく言うのは、お客様から名前を覚えていただいたり、逆に我々が名前を覚えたりして親しくなることがあるのですが、それが特定のスタッフではなく、全てのスタッフが同じように接することができるようにしていきたいと。お客様に支えていただいてここまでこの店を維持できたという自覚もありますし、我々もお客様をこれからも大切にしていかなければいけないので、そのためには、そちらに専念できる環境を作っていかなければなりません。それが私の使命と思っています。
具体的にどういう取り組みをなさっていますか。
細かい作業ですね。そういったものを完全に切り離してみたり。あとは誤発注で手間がかかったりするとそちらで気を揉んでしまうので、デジタル発注するなどです。今まで整備がなされずに何となく馴れ合いでやってきた部分が多かったので、そこをきちっとしました。それによって事故が少なくなります。
心の中であれも心配、これも心配、それも心配となると進みませんからね。
そうです。うまく動けません。心配事を考えながらお客様と接していたら、恐らく話の内容など全く耳に入ってこないでしょう。「あの人、何も聞いてくれない」などと失礼なことになります。
「さっき言いましたよね?」などという事態になれば、ホールとしてはいけません。やはりそこはお客様がどういうつもりでおっしゃっていただいたか、把握しなければいけませんね。
全力で目的に向かっていけるよう、余分なものは1回切り離して、整理をして、まとめてもう1回きちっとした形で戻すというのを繰り返し繰り返し、細々したことですがやっています。
細かい作業の効率化を図る。そのイノベーションによってもたらされるのは、よりお客様のことに集中できる環境です。それによって「銀座みかわや」は一人ひとりのお客様のことを把握でき、厚い信頼関係を築けるようになったのです。
後編へ続く
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