Tokyo

12/22 (日)

『切腹最中』『景気上昇最中』……ユーモアと美味しさの同居する和菓子を生み出す『新正堂』

ご挨拶や謝罪の手土産に『切腹最中』、上場記念に『景気上昇最中』や『陣太鼓どら焼き』。ビジネスやプライベートのさまざまな場面でユーモアと“美味しさ”を届けてくれる和菓子の数々を生み出す100年企業が、大正元年(1912年)創業の新橋『新正堂』です。同社のユニークな商品はどのようにして生まれ、進化してきたのでしょうか? デザインの名門『桑沢デザイン研究所』出身という異色の経歴を持ち、『新正堂』の個性を体現するような明るい個性を備えた三代目ご当主、渡辺仁久さんに伺いました。

『忠臣蔵』の浅野内匠頭縁の地、『新正堂』の名物「切腹最中」

林:早速、『新正堂』についてご紹介いただけますか?

渡辺さん:大正元年新橋創業、新橋の「新」と大正の「正」で『新正堂』というお菓子屋です。私の祖父である初代が大阪から江戸に上京し、和菓子屋を営むことになりました。二代目は弁護士志望だった私の義父です。彼が生み出し、人気を博したのがつぶあんの豆大福。そして三代目の私が『忠臣蔵』の浅野内匠頭が切腹された田村屋敷跡で弊社が営業していることからはじめたのが『切腹最中』という商品です。

林:『新正堂』はそれほど歴史と縁が深いのですね。

渡辺さん:今年(取材当時、2022年)でちょうど110周年なんです。店舗に掲げた垂れ幕には「こんなにも和菓子のことをしらなかった おかげさまで110周年を迎えます」と書かせていただきました。和菓子の奥深さ、謙虚さを表すため、一年間悩みに悩んで考えたスローガンです。

林:実は、取材場所である『CIC Tokyo』から新正堂さんの店舗までは歩いて5分ほどです。

渡辺さん:私は足が短いので、10分くらいかかるかもしれませんが(笑)。

林:店頭には、かわいらしい『切腹最中』のディスプレイも展示されていますよね(笑)。

デザインの名門での出会いが、渡辺さんを和菓子の世界へ

林:つづいて、渡辺さんご自身についてもご紹介をお願いいたします。

渡辺さん:私は今年で70歳になります。『新正堂』には婿養子として入社しました。もともと桑沢デザイン研究所でドレスのデザインを勉強しておりまして、桑沢洋子さん最後の聴講生でもあります。

林:すごいですね。桑沢デザイン研究所といえばデザインの世界では超名門です。

渡辺さん:そこで私は先代の長女である妻と出会いました。通学・通勤中、ジャズを聴くとき、仕事中などいかなる状況のファッションもデザインできる引き出しをつくるようにという、桑沢先生からいただいた教えは今も私の心中に残っています。

林:桑沢デザイン研究所を卒業されてからご結婚されたのですか?

渡辺さん:卒業後、一度私は故郷に戻ったのですが、遠距離恋愛を経て結婚に至りました。しばらくは私の実家の方で暮らしたのですが、『新正堂』を畳むかもしれないという話を耳にし、直接先代の方へ伺ったところ、「お前、菓子屋をやってみないか」とお声がけいただきました。当時私は和菓子のことを何も知りませんでしたから、そこから東京製菓学校夜間部に6年通うことになります。

林:なるほどそうして製菓の世界へ入られたのですね。ところで、『新正堂』には家訓のようなものはございますか?

渡辺さん:成功するまであきらめずに続けられたということですね。

林:なるほどそうして製菓の世界へ入られたのですね。ところで、『新正堂』には家訓のようなものはございますか?

渡辺さん:「やり続ければ何か当たるだろう」という不確実な確信を持っていたんです(笑)。亡き義母は当初「お父さんが生きていればこんなものは出すはずがない」と泣いて反対していたのですが、「どうしても」と説得しました。ですが、店頭に出すようになると「もっと目立つところに置きなさいよ」と勧めていただきまして、成功した際には「私のおかげよ」なんて誇らしげに言ってらっしゃいましたね。

林:仲良しですね(笑)。

鎌倉時代からつづくあんこづくりを変えた、『新正堂』のイノベーション

林:これまで『新正堂』の歴史を支えてきたイノベーションについてより詳しくお伺いできますか?

 

渡辺さん:鎌倉時代から続いてきたあんこのつくりかたを私の代で改良いたしました。もともとあんこは、小豆を一晩水につけてアクを抜いてから翌日煮てつくるものでした。しかし、修行の一環として小豆の大きさを篩(ふるい)でより分ける丁稚仕事をしていた私は、小豆の大きさが均一になり、アクも少なくなっていることに気づいたんです。十勝の小豆農家の方に聞くと、品種改良の成果だといわれました。

林:なるほど。

渡辺さん:そこで私は食品加工機械メーカー梶原工業の『新しい小豆の炊き方』についての講義を受け、衝撃を受けることになります。グラグラしたお湯に小豆をそのまま投入しただけなのに、見本としていただいた小豆からは、美味しいそばをいただいたときのような、馥郁(ふくいく)たる香りがする。そこで、当時の職長に相談したんですが、最初は門前払いでした。しかし私はこっそり新しい方法でつくったあずきを試すという、いささか強引な作戦を実行します。すると、職長は「うまいじゃねえか」と一言。そうして大福やどらやきのあんこのつくり方も切り替えたところ、売上がぐっと上がりました。やはりあんこの味が変わったとはっきりと示さなくても、美味しくなったら感覚としてお客さんに伝わるのですね。

林:まさにイノベーションですね。

渡辺さん:東京製菓学校の校長先生から、「お菓子の日」というイベントでこのことを話してほしいと依頼されました。引き受けたところ、講義を聞きに来ているのはみな同業の和菓子屋たちだったんです。学生さんが来ると思っていたので、事情を問いただすと、社会人として学びに来ていた同業者の希望が殺到し、それに応えていたらそうなってしまったという。

一時は「帰ろうか」と思った私ですが、そこで『切腹最中』のあんこの配合から炊き方まで全て明らかにしました。「そんな炊き方で小豆が水を吸うわけがない」いう意見も浴びせられましたが、一つうれしい話がありました。『虎屋』御殿場工場の工場長さんが「その煮方をやってみたい」というんです。そうして新しいやり方を試してていただけたのが、今でも私の自慢です。

林:すごいです。

渡辺さん:その煮方はやはり伝統にかけるプライドとぶつかる面があるのか、幸か不幸かいまだ広まり切っていません。しかし、多くの同業者にショックを与える出来事ではあったようです。

林:従来の固定概念が、時代の変遷についていくにあたって障壁となる面はありますよね。

渡辺さん:品種改良の成果が出るには、3年程の期間が必要になるんです。「若い生産者がそうして改善に取り組んでいるのに、どうして和菓子屋が工夫しないんだ」という思いが私にはありました。とはいえ、私も最初に新しい煮方を梶原工業で見たときは「だめだこりゃ」と感じたのですが、「やりたい」という気持ちがだんだんとそれに勝ってきたのが功を奏しましたね。

鎌倉時代からつづいていた「あんこづくり」の手法を変えてしまったという三代目。変化を恐れないその姿勢ことが、老舗にイノベーションをもたらすものなのでしょう。

後編へ続く

※この対談を動画で見たい方はコチラ

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