昔ながらの製法で丁寧につくられる志ほせ饅頭
中央区明石町に店舗を構える「塩瀬総本家 本店」。同店の看板商品である「志ほせ饅頭」は、日本の饅頭の元祖として知られています(※)。
創業者である林淨因は、肉食ができない禅宗の僧侶のために、中国の「マントゥ」をヒントに小豆の餡を皮に包んで蒸したものを提供。この饅頭の元祖が、小豆を好んで食べていた日本人の口に合い、上流階級の人々の間で広まりました。饅頭を大層気に入った後村上天皇からは宮女を賜り、その御礼に紅白饅頭を諸方に贈ったことから、お祝い事に紅白饅頭を贈る習慣が生まれたと言われています。
その後も、後土御門天皇より菊紋の次に格が高い「五七の桐」の御紋を拝領、後水尾天皇より「塩瀬山城大掾」の名を許される等、一商家としては異例の厚遇を賜るほど愛されてきました。店内にある「日本第一番本饅頭所」の大きな看板は、8代室町将軍の足利義政より授かったもの。塩瀬総本家こそが饅頭の最高峰であることを示しています。
創業当時、その革新的な味が感動を呼び、皇族と将軍に重宝されてきた「塩瀬総本家」の饅頭。現在に至るまで根強く支持されているのは、職人が一つひとつ丁寧につくり上げているからこそです。
「職人は30年以上続けてやっと一人前」と話すのは、35代目当主の川島一世さん。もちもちふっくらとした皮は山芋をこねてつくりますが、大和芋をむいて摩り下ろすところから全て職人による手作業。機械化が進んでいる和菓子業界にあって、創業時からの製法にこだわるのには理由があります。
「塩瀬総本家は、最初にあんこをつくり、次に小麦の饅頭、そして薯蕷(じょうよ)饅頭と、饅頭のイノベーションを3回おこしているんです。和菓子のルーツとも言えるお店だからこそ、原点を変えないようにしています」
饅頭に限らず、全ての和菓子において「お客様の期待を裏切るようなことはしない」というのが、塩瀬総本家のモットー。例えば大福は、その日の朝にもち米を水につけて餅をつくため、賞味期限は当日。「これこそが本物」と胸を張って言い切れる製法の商品だけが店頭に並びます。
最近では、「志ほせ饅頭」にオリジナルの写真やロゴマークのプリントを施すサービスも開始。結婚式の引き出物や卒園・卒業の贈り物、企業のイベントで重宝されているそう。670年以上前に紅白饅頭の文化を生んだ「塩瀬総本家」では、和菓子が特別な記念日を彩れるように、今も変わらず創意工夫を続けています。
※饅頭の起源には諸説あります。