Tokyo

12/22 (日)

お客様の情報をノートにメモし、すべてのスタッフで共有する。「銀座みかわや」が徹底するおもてなしの心

明治20年(1887年)、銀座に開業した三河屋食料品店。それが終戦の混乱期にフランス料理 みかわやとして再興し、現在の「銀座みかわや」になりました。味わえるのは絶品の洋食。ご贔屓にするお客様が多く、お店は日々賑わいを見せています。そんな銀座みかわやの四代目ご当主、渡仲晋平さんにお話を伺いました。

前編の記事〜

渡仲さんが考えていることや理念の浸透はどうでしょう。

今まで、業務に関しては何となく始まって何となく終わっていたのです。そうではなく、スタッフを1回定時に集めて、ミーティングをして、「前日がこうだった、こういうものが動いているから品物を少しこうした方がいい」とか、「こういうお客様がいらっしゃっていて、前回こういう要望いただいているから、それができるかどうかを確認して全員で共有する」とか。いわゆる情報が全員に伝わるような環境作りをしています。

例えば、「お客さんはこういうのが苦手だから」みたいなのも共有したりしていますか?

はい、それもノートにまとめています。お名前を見て、「これが苦手だからもう無しにしよう」とか「この量だと多いとおっしゃっていたので、少ない量のものをご提案しよう」とか。そういうところはもう全てまとめたりしていますね。共有できる情報は必ず必要です。バラバラに置くと分からなくなるので、1カ所に集中させています。

そのノートはどなたでも見られますか?

誰でも見られますし、何か変化があれば誰でも書き込めます。

ノート1枚あたりに1人のお客様の情報を書いていくイメージですか?

いえ、そこまでではないですけれども、1枚のページに10数名は載っていると思います。情報が変われば二重線で消して付け加えて、という形です。ノートは、お客様のいわゆるわがままを書き留めるためのものでもあります。いわゆる裏メニューというのは、そこから生まれます。

わがままを聞いてくれる、私のことをわかってくれているっていうことですね。

そうです。そういう声をいただくことが多いですし、我々もうれしいです。

グラタンから始まり、時代によって変遷する人気メニュー

初代がおやりになった大きな仕掛けとか、大きいメニュー革新があったとも伺いました。

当店はもともと少し苦しい状態の中で、新聞記事にうちのグラタンが載り、そこから息を吹き返しました。もともと私の祖父が横浜のホテルニューグランドに勤めていたのですが、そこがドリアの発祥の地なのです。ドリアが生まれた、まさにその現場にいたわけです。祖父はその技術を持って独立しました。それをうちの店ではグラタンという形で、バターライスを少し入れてお出ししています。そういう新しいものを取り入れてお店を興していったというのが祖父の代であったことです。

最初のヒットメニューがグラタンであったということですね。あと今に至るまで、時代の中でいろんな変遷がおありだったと思いますが。

最初「グラタンのみかわやさん」と言われていましたが、時代が加速するにつれ、人々の持つ時間もどんどん加速していったこともあり、グラタンをのんびりと食べられなくなったっていうのが現実だと思います。焼けるのを待たなければならないし、熱いですからね。だから今は、ナンバーワンのメニューはグラタンではなくて、カニクリームコロッケです。同じクリームを使う料理でも、そちらに変わっています。人々の生活様式が変わり、時間の流れ方も変わったので、よりササッと食べられる方にシフトしていっているのが現実ですね。

カニクリームコロッケはもともとなかったと思います。どういう経緯で導入されましたか。

もともと今のみかわやになる以前、戦後の混乱期は、材料がなくて、コロッケを揚げて売っていたらしいです。その延長線上で店を構えて営業するようになりましたが、そのときのノウハウが活きてあのような形になったようです。

なるほど。そのコロッケを売っていた時代のノウハウがあったのですね。素晴らしいです。では続いて、これから先の話や、今考えている取り組みをぜひ伺いたいです。

技術関心でクオリティの高いデリバリーが可能に

うちの店も古くなるにつれ、ご利用の方々も当然年齢を重ねています。すると体も弱り、店に来られない人も出てきます。そういう方々のために、うちの味をご家庭で味わえるようにと、今、いろいろ取り組みをしています。技術革新というのは日々起こっています。実は知人のお店が先月、瞬間冷凍機を導入しました。試験運用中らしいですが、その機械を利用させていただきたいと考えています。例えば揚げ物の冷凍だと、時間がたつとどうしてもベチャッとしてしまうのですが、今の冷凍食品は電子レンジで温めてもサクッとしています。冷凍技術が進化したからです。

そういうことなんですね、最初の頃はそうではなかったと思いますが。

昔は……申し訳ないのですが、食べられたものじゃない食品が出てきて、所詮こういうものだから仕方がないと、納得せざるを得なかったのですが、今はとても良いものができるようになっています。それは冷凍技術の進化があってのことですが、我々も技術にあやかって、うちの品物を瞬間冷凍して、それを全国に冷凍で発送できるようにしたいと、今、準備をしているところです。

デリバリーの技術革新ですね。

我々はお届けすることをしてきませんでした。ただ昨今の事情もありますが、銀座の街の洋食店が手を取り合って、そうしたデリバリーの仕組みを立ち上げましたので、そちらを利用させていただき、いわゆる「銀座のクオリティ」としてお客様にお届けする。うちの店もそちらに参加させていただいて、「美味しい銀座デリバリー」をお届けしています。

あれはすごいですね。なんか銀座ってそういう動きができる街なのだなって、すごく安心しました。

そうですね、銀座って面白い街で。例えば同じ銀座の中に洋食店がいくつもあります。端から見ればライバルとみられるかもしれないけど、一切そんな意識ないですね。同じ商いをする仲間と意識しているので、競い合うというよりもそれぞれの特徴を活かして何ができるかを一緒に考えてここまで来たというのが、やっぱり銀座ならではの、横の繋がりかなと思います。

ありがとうございます。では最後に、何かメッセージがありましたらお願いします。

うちのお店は、銀座で店を構えていることもあり、正直、価格的にはかなり高いと思います。ただ、洋食の歴史の1ページとして、それをここまで担ってきたという自負もございます。ぜひ洋食というものを深く知りたいということであれば、お立ち寄りいただきたいと思います。私自身も実際にお店に立って、動き回っておりますので、訪ねてきてくださった際には気軽にお声をかけていただきましたら、そこからはまた新しい繋がりも生まれていくと思います。食べなくても結構です! 声だけかけに来ていただいても大丈夫ですので、ぜひこれからも、みかわやを愛していただければと思います。

手書きのノートにお客様の情報をメモし、全スタッフで共有する。その地道な努力が、今日の「銀座みかわや」を作り上げてきたのでしょう。銀座で人気の洋食店に集まる人々は、その味だけではなく、スタッフのおもてなしを求めているのかもしれません。

※この対談を動画で見たい方はコチラ

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