江戸幕府成立直後に江戸城内吹上付近に築かれ、のちに北の丸竹橋付近へ移転した紀州藩の上屋敷は、1657(明暦3)年の振袖火事のあと竹橋から現在の千代田区紀尾井町一帯に移転しました。現在の紀尾井町周辺から清水谷公園、紀尾井町ビルに及ぶ広大な敷地です。清水谷公園は和歌山藩上屋敷の庭園跡にあたり、表門は諏訪坂に面していたといわれています。また、弁慶濠沿いに広がる東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地内には、屋敷派との碑だけではなく屋敷の石組遺構の一部が残されています。