Tokyo

11/21 (木)

25歳で突然社長に。日本最古の弁当屋「日本橋弁松総本店」八代目の歩み

日本橋弁松総本店」のはじまりは文化7年(1810年)、日本橋の魚河岸に開かれた「樋口屋」という食事処まで遡ります。それから213年、「樋口屋」は「日本橋弁松総本店」という名の弁当屋になり、大勢のお客様の舌を喜ばせています。そんな日本最古の弁当屋を取り仕切る八代目の樋口純一さんにお話を伺います。

25歳のとき、突然社長に就任することに

林:では早速、お店の紹介をお願いできればと思います。

樋口純一さん:弊社は創業が嘉永3年、1850年ですが、現存する中では、日本で一番古い弁当屋でございます。現在の本店は、日本橋の室町というところにあります。創業も、ほぼこの辺りでいたしました。今年で171年目です。ひたすら弁当を作っています。工場はここではなく、江東区の永代という、永代橋を渡ったたもとにあります。お弁当に関してはまた後でお話したいと思いますが、永代の工場では毎日夜中から卵を焼いたり、煮物を煮たりして、朝の納品時間までに作っています。

林:皆さん、ぜひツイッターをフォローしていただければと思います。日本橋弁松さんのツイッターでは、そういった調理場の模様が生々しく伝わってきます。1日に玉子焼は、どのくらい作られているのですか。

樋口さん:大体70本から100本の間が多いですね。1人が鍋を3つ同時に操ってやっています。焼き手が基本的には3人いて、多いときは4人で、2時間ぐらいかけて黙々と焼いています。結構この卵を焼く鍋は重いです。

そして、これが詰めている様子です。小さい工場なので、ベルトコンベアで材料が流れてくるのではなく、人間の方が動くというスタイルでやっています。

林:ありがとうございます。次に樋口さんの自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

樋口さん:今50歳ですけれども、大学を出てから2年ほど、新潟にある親戚が営む料理屋さんでお世話になりました。その後、日本橋弁松に入社したのですが、入社して半年で、先代の父が亡くなり、いきなり社長になりました。それが25歳のときなので、人生の半分、社長をやっています。今、八代目をやらせていただいていますが、大体うちの当主は、60歳まで生きたのが、今まで1人しかいません。先代も先々代も50代で死んでいます。もちろん最初の初代や2代目などは、まだ江戸末期や明治で、その頃は平均寿命がその程度だったのかもしれませんが、昭和になってもうちの場合は早死です。なので、自分の任期もぼちぼち終わりが来るのではないかという感じで、終活に励んでいるところです。

林:す、すごいですね。それは何か原因があるのでしょうか。

樋口さん:やはり夜中から仕事したりしているので、体に悪いのでしょうね。

林:ハードワークですね。自己紹介で、そういった寿命のお話を伺うのが初めてなので衝撃を受けておりますけども。25歳で後を継がれたということですが、大変ご苦労されたかと思います。

樋口さん:当時の従業員たちにとって不幸だったのは、全く社長業がわかってない人間がいきなり社長になってしまったことです。自分なりには、その都度その都度、精一杯やってきたつもりですが、今思い返せば、ちょっとあさっての方向に頑張っていたようなシーンもあったので、いろいろご迷惑をかけたりしたと思います。そういった苦労はありつつ、よそでは「50歳を過ぎても社長になれない」なども聞きますから、どちらが良かったかは分かりません。いずれにしても社長になれば、苦労はたくさんあると思います。従業員数とか創業年数とか関係なく、最後の最後は全部自分に責任が来るわけですから。

林:どんな規模のお店でも変わりませんものね。子どもの頃に、ご家庭で自分のところのお弁当を食べたりする機会は結構あったでしょうか?

樋口さん:子どもの頃は、弁当丸ごとはやはりそんなに食べていませんでした。嫌いなものもたくさん入っていたし、食べられなかったものが多かったので。量的にも多いので食べませんでしたけれども、やはり一部のおかずは好きなものもあります。そういうおかずは高校時代のお弁当の中に、使い回しで入っていたということはありましたね。

林:言ってみれば、弁松さんの味というのは幼少期から召し上がってこられて、「こういったものが自分の店の味である」みたいな感覚があったということですよね。

樋口さん:そうですね。味と、あとは……今は違いますが、この1つ前の本店と工場が、やはり日本橋の本町という場所にあって、本店、工場、自宅が全部一つのビルの中にあったのです。その当時は明け方になると下の厨房ではもう調理をしていて、その匂いが上の自宅部分まで上がってきます。寝ているとその匂いで起きるという、そんな生活でした。だから味よりも香りの方が身にしみているでしょうか。

林:家訓のようなものはありますか?

樋口さん:残念ながらないですね。家訓を考えるマメな当主もいなかったのだと思います。分かりませんが、もしかしたら何かあったのかもしれません。でも都内の老舗というのは関東大震災で全部焼けてしまっているので、あったのかなかったのかも分からない。だから、経営理念というものを何度か作ったことあります、今風に。ただ、やはり言葉だと人によっていろいろ解釈の仕方が違うので、とりあえず作ったけれど全然浸透しなかった。結局は言葉じゃなく、もう味そのものかなっていう結論に至りました。この味をちゃんと作れば、方向性としてはぶれないという感じでしょうか。よく言葉遊びみたいな感じで経営理念を作っておられる企業があります。そういうものも面白いと思いますが、やはり、社内に浸透させるのは大変ですね。

林:なので、味こそが弁松さんとして一番引き継ぐ、重要なものであると定めて、今おやりになっているということですね。

25歳で社長に就任し、がむしゃらに走り続けてきた八代目。勝手がわからないなか、それでも「日本橋弁松総本店」の味を守り続けてきました。大事なのは言葉だけの経営理念ではなく、味そのもの。それを体現するように、八代目は今日も現場に立っています。

後編へ続く

※この対談を動画で見たい方はコチラ

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