銀座 先代や先輩の信念を受け継ぎ、味を守り続けていく老舗パン屋さん「木村屋總本店」 パン 私たちにとってとても身近な食べ物である、あんぱん。明治2年創業の「木村屋總本店」はその生みの親であり、日本の菓子パンの歴史を支え続けてきたパン屋さんです。桜あんぱん、蒸しケーキ、ジャムパンなど数々のイノベーションを生み出し続けてきた同企業。その7代目である木村光伯さんが、150年を越える老舗の根底にある理念と試行錯誤について教えてくれました。150年以上の歴史を持つ木村屋總本舗の家訓とは。ふたつの墓石に込められた思い本日は、木村屋總本店 7代目代表取締役社長の木村光伯さんにお話をお聞きします。木村屋總本店さんといえば、親しみ深くいつも近くにある味というイメージがあります。改めて木村さまご自身と、木村屋總本店の紹介をお願いいたします。木村屋總本店の木村光伯と申します。昭和53年7月生まれです。会社は木村屋總本店と申しまして明治2年の1869年に、新橋の芝日陰町というところ──現在の烏森口辺りで創業し、それから数年後に銀座に移り、今年(2021年インタビュー当時)で152年目を迎えるパン屋でございます。とても馴染みがあるお店です。パン屋さんとしてどのような道筋をたどったのでしょうか。明治7年にあんぱんを発明しまして、明治8年4月4日に明治天皇に献上するという機会をいただきました。そのときに生まれたのが桜あんぱんであり、今もなお弊社を代表する製品です。事業展開としましては、主に首都圏のデパ地下さんなどに出店させていただいており、本店は銀座4丁目にございます。また、袋パン事業も手掛けていまして、スーパーさんやコンビニさんにもパンを卸させていただいています。日本では知らない人はほぼいないであろうあんぱんに、桜の葉の塩気がアクセントの桜あんぱん。どれもが日常に浸透している商品ばかりですよね。そういったものを生み出すためには数々のイノベーションがあったのではと思います。そんな木村屋總本店の、家訓とはどんなものですか。文章化された家訓というものはありません。ですが私も、そういったものは何かと考えました。そこで思い出したのが、毎月親に連れられて行ったお墓参りです。実はうちの菩提寺にお墓の墓石が二つあるんです。一つは木村家が眠っているお墓ですが、もう一つは先輩方──木村家に限らず木村屋總本店で働いた方、のれん分けした全国の木村屋さんの思いが集まっている墓石なんです。すごいですね。二つの墓石がある理由を改めて考えてみたんです。そこで思い至ったのは、木村屋という名前に誇りを持つと同時に、関わってくださった先輩たちへの敬意を常に持ち続けること・先輩たちの思いを大切に守っていくこと。そういった信念のようなものを感じました。形式化されてはいませんが、これが家訓に近いものなのではと考えています。人を大事にすること、そして過去の功労者のみなさんを大事にする気持ちを、とても重んじていらっしゃるのですね。次に、木村さんご自身がどのようにして木村屋總本店を継承されたのかお聞かせいただけますか。私は、大学を卒業後そのまま木村屋總本店へ入社しました。大学生の頃から製造のお手伝いやアルバイトで少し携わっていましたので、そういう意味では未知の世界へ飛び込んだということはなく、すんなり入社したと思います。木村さんの幼少期の環境はどういったものだったのでしょう。私たちは小さい頃から祖母と3世帯で住んでいまして、よく祖母と一緒にご飯を食べていました。「会社を継げ」といった言葉はほとんどないまま成長し、自分にも「継ぐ」という意識はありませんでした。ですが大学時代の夏休みに父から「暇だったら、ちょっとアルバイトに行って来い」と言われて初めて会社へ。そこで製造の職人さんにかわいがっていただいたりするうちに、継ぐということを少しずつ意識するようになりました。これまでも老舗のご当主の方々からお話を聞いていますが、「継げ」といった言葉はないようですね。自然と継ぐことになっていく方が多いと感じています。そうかもしれません。私も自分の子どもに対して「継げ」と言うことはほとんどありませんし、強制するものでもないと思いますね。私は、先祖たちから「木村屋」というバトンを預かっている7番目の走者だと思っています。そのバトンを磨いて8番目の走者に渡す使命はありますが、それが私の子どもなのかというと別問題かと感じます。会社にとっての良い走者を考える必要がありますから。そこは冷静に考えつつ、バランスを見るということですね。さて、木村さんにとってはあんぱんのように、あまりにも身近な食品があると、自社の製品と他社の製品の味の違いに驚いたというエピソードを聞くことがあります。木村さんはいかがですか?あんぱんは子どもの頃からずっと食べていました。パンもそうですね。でも、実家はご飯派なのです。それは意外ですね(笑)。朝昼晩の三食でご飯食が多かったですね。会社にいけばパンが常にあり試食もしますので、私の父もそのようにしたのではないかと思います。社会人としてパンが生業となってからは、他社さんと見比べる、流行りのパン屋を回ることがかえって趣味になりました。今でも、新しいパン屋さんができたと聞けば土日で買いにいきますね。それは、先方のパン屋さんがとても緊張しそうですね(笑)。それでは、アルバイトといった形で実際に働き始めた時のことについてお聞きします。今までと何か変わった点や、改めて感じたことはありましたか。職人の経験と感覚が息づくパン作りの現場へ。先達の志を知り、経営にも生かす。まず工程に驚きました。というのも私は、商品はもっと工業的に作られているものと思っていたからです。ですが実際の製造現場では、本当に人の手がかけられていて、そして職人さんがその日の気温や湿度に合わせて「もうちょっとこうしたほうがいいんじゃないか」と口伝で味を守っていたんです。そうした思いで成り立っているという舞台裏には、やはり脅かされましたね。それはすごいですね。木村さんはそのように職人さんと会話を交わしながら、どのように製造の現場に馴染んでいかれたのですか。製造ラインの研修に入りましたら、職人の親方に「ちょっと飲みに行くか」と誘われて。すると話題が「お前の親父はこんなにひどかったんだ」といった愚痴を聞く流れとなって。そしてなぜだか私が謝るという結末に(笑)。とても面白いですね(笑)。それは、先代であるお父様の背景を身近な視点から知ることが出来るという側面もありますね。ご苦労された点や、すごかった点ですとか。そうですね。父が会社に対してやってきたことや向き合う姿勢などを知ることができました。そうすると、家での父親と、会社で仕事をする父とでは、考え方や動きが全く異なるものだと感じることもありました。お父様について、何か印象に残っているエピソードや言葉はありますか。父は製造に入っていた時期が長かったこともあり、ものづくりに対してはとてもストイックでした。ある日、私がパンを焼くための鉄板を拭いているそばに父が来て、鉄板をチェックしたことがありました。すると「油のつきが悪い」「油が少し酸化しているから、全部やり直し」といったことを言って。それを聞いた職人さんたちは、顔を真っ青にしてやり直したことがありました。ものづくりに際し、父は体で覚えた感覚を大切にしながら常に製造目線で話していましたね。木村さんが、お父様から何かを直接教わることはありましたか。私が代表になったのは、28歳の時でした。社会人になった22歳から1年半程はアメリカのAIB(米国製パン研究所)で修行していましたから、実際に父と一緒に働いたのは3年と少しの期間です。今振り返ってみると、もう少しいろいろと話を聞いても良かったと思っています。今は、職人さんなど社内の人たちに父や祖父が話していたことや、大切にしていた言葉を聞き直して、自分の経営のジャッジに生かしています。先代のみなさんがよく使われていた言葉、話されていたのはどんなことでしたか。もともと“いつも幸せ”という社是と位置付けられる言葉があり、加えて“お客様・パートナー・従業員・会社・自分自身、この5つの幸せが成り立たないと会社全体が良くならない”との考えを大切にしてきました。ですが私には、これらの言葉が成り立った理由が分からなかった。改めて理念を作り直そうと自分が思う言葉を置いてみたものの、これが会社の誰もが気持ちを込めてくれるものであるかと考えると、疑問がありました。そこで先ほどの話と重なる部分がありますが、先輩たちが現場で大切にしていた言葉から紡ぐことにしたのです。それが「食で感動をつなぎ、幸せの輪を広げる」。さらに先輩たちの思いを社内で体現すべく「丁寧に素早く最高を作る」との言葉を理念に落とし込んでいます。こちらを基準に評価制度なども見直しました。私も経営に携わっていますが、今おっしゃった言葉が何より難しいと感じますし、とても考えさせられます。「丁寧に素早く最高を作る」ことは本当に大変でしょうね。そうですよね。現場で製造の親方が放つ「素早く丁寧に作るんだよ」との言葉は、後輩たちにとってとても大切なものだと思っています。理念を置いていない会社も少なくありませんが、木村屋總本店さんではきちんと作っていらっしゃる。さらに、理念を人事制度にまで落とし込んでいるのは本当にすごいことですね。会社の皆で作った言葉だからこそ、しっかりと日常に染み込むものであってほしいのです。その理念を基にした行動を評価しインセンティブなどで返すことで、身になっていくものと考えました。理念と評価をつなげることに関しては、こだわったポイントといえますね。前編では、木村屋總本店で代々受け継がれてきた思いや、もの作りの視点の大切さをお聞きしました。後編では、あんぱん誕生にはじまるイノベーションと、現在の取り組みや展望について伺っていきます。後編へ続く※この対談を動画で見たい方はコチラ あなたはどちら...? 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本日は、木村屋總本店 7代目代表取締役社長の木村光伯さんにお話をお聞きします。
木村屋總本店さんといえば、親しみ深くいつも近くにある味というイメージがあります。改めて木村さまご自身と、木村屋總本店の紹介をお願いいたします。
木村屋總本店の木村光伯と申します。昭和53年7月生まれです。会社は木村屋總本店と申しまして明治2年の1869年に、新橋の芝日陰町というところ──現在の烏森口辺りで創業し、それから数年後に銀座に移り、今年(2021年インタビュー当時)で152年目を迎えるパン屋でございます。
とても馴染みがあるお店です。パン屋さんとしてどのような道筋をたどったのでしょうか。
明治7年にあんぱんを発明しまして、明治8年4月4日に明治天皇に献上するという機会をいただきました。そのときに生まれたのが桜あんぱんであり、今もなお弊社を代表する製品です。事業展開としましては、主に首都圏のデパ地下さんなどに出店させていただいており、本店は銀座4丁目にございます。また、袋パン事業も手掛けていまして、スーパーさんやコンビニさんにもパンを卸させていただいています。
日本では知らない人はほぼいないであろうあんぱんに、桜の葉の塩気がアクセントの桜あんぱん。どれもが日常に浸透している商品ばかりですよね。そういったものを生み出すためには数々のイノベーションがあったのではと思います。そんな木村屋總本店の、家訓とはどんなものですか。
文章化された家訓というものはありません。ですが私も、そういったものは何かと考えました。そこで思い出したのが、毎月親に連れられて行ったお墓参りです。実はうちの菩提寺にお墓の墓石が二つあるんです。一つは木村家が眠っているお墓ですが、もう一つは先輩方──木村家に限らず木村屋總本店で働いた方、のれん分けした全国の木村屋さんの思いが集まっている墓石なんです。
すごいですね。
二つの墓石がある理由を改めて考えてみたんです。そこで思い至ったのは、木村屋という名前に誇りを持つと同時に、関わってくださった先輩たちへの敬意を常に持ち続けること・先輩たちの思いを大切に守っていくこと。そういった信念のようなものを感じました。形式化されてはいませんが、これが家訓に近いものなのではと考えています。
人を大事にすること、そして過去の功労者のみなさんを大事にする気持ちを、とても重んじていらっしゃるのですね。次に、木村さんご自身がどのようにして木村屋總本店を継承されたのかお聞かせいただけますか。
私は、大学を卒業後そのまま木村屋總本店へ入社しました。大学生の頃から製造のお手伝いやアルバイトで少し携わっていましたので、そういう意味では未知の世界へ飛び込んだということはなく、すんなり入社したと思います。
木村さんの幼少期の環境はどういったものだったのでしょう。
私たちは小さい頃から祖母と3世帯で住んでいまして、よく祖母と一緒にご飯を食べていました。「会社を継げ」といった言葉はほとんどないまま成長し、自分にも「継ぐ」という意識はありませんでした。ですが大学時代の夏休みに父から「暇だったら、ちょっとアルバイトに行って来い」と言われて初めて会社へ。そこで製造の職人さんにかわいがっていただいたりするうちに、継ぐということを少しずつ意識するようになりました。
これまでも老舗のご当主の方々からお話を聞いていますが、「継げ」といった言葉はないようですね。自然と継ぐことになっていく方が多いと感じています。
そうかもしれません。私も自分の子どもに対して「継げ」と言うことはほとんどありませんし、強制するものでもないと思いますね。私は、先祖たちから「木村屋」というバトンを預かっている7番目の走者だと思っています。そのバトンを磨いて8番目の走者に渡す使命はありますが、それが私の子どもなのかというと別問題かと感じます。会社にとっての良い走者を考える必要がありますから。
そこは冷静に考えつつ、バランスを見るということですね。さて、木村さんにとってはあんぱんのように、あまりにも身近な食品があると、自社の製品と他社の製品の味の違いに驚いたというエピソードを聞くことがあります。木村さんはいかがですか?
あんぱんは子どもの頃からずっと食べていました。パンもそうですね。でも、実家はご飯派なのです。
それは意外ですね(笑)。
朝昼晩の三食でご飯食が多かったですね。会社にいけばパンが常にあり試食もしますので、私の父もそのようにしたのではないかと思います。社会人としてパンが生業となってからは、他社さんと見比べる、流行りのパン屋を回ることがかえって趣味になりました。今でも、新しいパン屋さんができたと聞けば土日で買いにいきますね。
それは、先方のパン屋さんがとても緊張しそうですね(笑)。それでは、アルバイトといった形で実際に働き始めた時のことについてお聞きします。今までと何か変わった点や、改めて感じたことはありましたか。
職人の経験と感覚が息づくパン作りの現場へ。先達の志を知り、経営にも生かす。
まず工程に驚きました。というのも私は、商品はもっと工業的に作られているものと思っていたからです。ですが実際の製造現場では、本当に人の手がかけられていて、そして職人さんがその日の気温や湿度に合わせて「もうちょっとこうしたほうがいいんじゃないか」と口伝で味を守っていたんです。そうした思いで成り立っているという舞台裏には、やはり脅かされましたね。
それはすごいですね。木村さんはそのように職人さんと会話を交わしながら、どのように製造の現場に馴染んでいかれたのですか。
製造ラインの研修に入りましたら、職人の親方に「ちょっと飲みに行くか」と誘われて。すると話題が「お前の親父はこんなにひどかったんだ」といった愚痴を聞く流れとなって。そしてなぜだか私が謝るという結末に(笑)。
とても面白いですね(笑)。それは、先代であるお父様の背景を身近な視点から知ることが出来るという側面もありますね。ご苦労された点や、すごかった点ですとか。
そうですね。父が会社に対してやってきたことや向き合う姿勢などを知ることができました。そうすると、家での父親と、会社で仕事をする父とでは、考え方や動きが全く異なるものだと感じることもありました。
お父様について、何か印象に残っているエピソードや言葉はありますか。
父は製造に入っていた時期が長かったこともあり、ものづくりに対してはとてもストイックでした。ある日、私がパンを焼くための鉄板を拭いているそばに父が来て、鉄板をチェックしたことがありました。すると「油のつきが悪い」「油が少し酸化しているから、全部やり直し」といったことを言って。それを聞いた職人さんたちは、顔を真っ青にしてやり直したことがありました。ものづくりに際し、父は体で覚えた感覚を大切にしながら常に製造目線で話していましたね。
木村さんが、お父様から何かを直接教わることはありましたか。
私が代表になったのは、28歳の時でした。社会人になった22歳から1年半程はアメリカのAIB(米国製パン研究所)で修行していましたから、実際に父と一緒に働いたのは3年と少しの期間です。今振り返ってみると、もう少しいろいろと話を聞いても良かったと思っています。今は、職人さんなど社内の人たちに父や祖父が話していたことや、大切にしていた言葉を聞き直して、自分の経営のジャッジに生かしています。
先代のみなさんがよく使われていた言葉、話されていたのはどんなことでしたか。
もともと“いつも幸せ”という社是と位置付けられる言葉があり、加えて“お客様・パートナー・従業員・会社・自分自身、この5つの幸せが成り立たないと会社全体が良くならない”との考えを大切にしてきました。ですが私には、これらの言葉が成り立った理由が分からなかった。改めて理念を作り直そうと自分が思う言葉を置いてみたものの、これが会社の誰もが気持ちを込めてくれるものであるかと考えると、疑問がありました。そこで先ほどの話と重なる部分がありますが、先輩たちが現場で大切にしていた言葉から紡ぐことにしたのです。それが「食で感動をつなぎ、幸せの輪を広げる」。さらに先輩たちの思いを社内で体現すべく「丁寧に素早く最高を作る」との言葉を理念に落とし込んでいます。こちらを基準に評価制度なども見直しました。
私も経営に携わっていますが、今おっしゃった言葉が何より難しいと感じますし、とても考えさせられます。
「丁寧に素早く最高を作る」ことは本当に大変でしょうね。
そうですよね。現場で製造の親方が放つ「素早く丁寧に作るんだよ」との言葉は、後輩たちにとってとても大切なものだと思っています。
理念を置いていない会社も少なくありませんが、木村屋總本店さんではきちんと作っていらっしゃる。さらに、理念を人事制度にまで落とし込んでいるのは本当にすごいことですね。
会社の皆で作った言葉だからこそ、しっかりと日常に染み込むものであってほしいのです。その理念を基にした行動を評価しインセンティブなどで返すことで、身になっていくものと考えました。理念と評価をつなげることに関しては、こだわったポイントといえますね。
前編では、木村屋總本店で代々受け継がれてきた思いや、もの作りの視点の大切さをお聞きしました。後編では、あんぱん誕生にはじまるイノベーションと、現在の取り組みや展望について伺っていきます。
後編へ続く
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