Tokyo

11/21 (木)

木村屋總本店のあんぱんは「苦肉の策」で生まれた? 試行錯誤を続けた150年の歴史

前編では、木村屋總本店で受け継がれてきたもの作りの姿勢や、企業としての理念をお聞きしました。後編では定番中の定番であるおやつ“あんぱん”誕生の背景と、新たな定番作りに向けて取り組んでいることをお聞きします。

前編の記事

ホップの代わりとなるものを探してたどり着いたのが酒種

創業から150年以上の歴史においては、壁にぶつかるタイミングもあったと思います。それらをどのように乗り越え、イノベーションを起こしてこられたのでしょうか。

最初かつ最大のイノベーションは、あんぱんを生み出したことでした。ただ、誕生の理由を調べようにも当時の文献は関東大震災や戦争で燃えてしまいほとんど残っていません。ですから、自分なりにあんぱんが生まれた背景を考察しました。創業は明治2年ですが、当時の日本にはパン食文化は根づいていません。パンがあっても主菜の魚料理とは並べにくく、主食の米には置き変わらなかった。ですからパン屋は一般受けせず、加えて店があった銀座近辺は火事が多く、また小麦粉やホップといった原料も手に入りにくかったことでしょう。

いくつもの難題が重なり、大変なご苦労だったでしょうね。

醗酵に使用するホップについては日常で代替できるものを探し、そこで日本酒の原料となる酒種を生地に練りこんだ。すると生地は膨らんだものの固くて主食には向かないからと、お菓子寄りにすべく砂糖の量を増やして。おやつになるなら近いもので酒まんじゅうがあって、と試行錯誤する中で「あんこを入れてみたらどうか」という発想が生まれたのだと思います。ですからあんぱんは、戦略的というより手探りの苦肉の策の商品だったという位置付けです。私の解釈では、イノベーションは日々の試行錯誤の連続の結果として生まれるものですね。

別のインタビューでも、イノベーションは手段ではなく結果であると老舗企業の経営者の方がおっしゃっていました。

私も、連続性がある中でのイノベーションとはそういうものだと思います。何か新しいものを売っていかねばと悩む中で、「あんことかいいんじゃないの」と初代・2代目と職人さんが考えながら作っていったものが、あんぱんではないか――。これが、当時の時代背景や原料調達の状況をつなぎあわせて辿り着いた私の解釈です。

多くの方が「あんぱんの誕生と同時に木村屋が始まった」というイメージを持っているのではないでしょうか。ですから、それ以前の苦労や悩みに思いを馳せることは難しいですよね。では、そのほかのイノベーションには、どういったものがありますか。

大きなところで申しますと、昭和55年に生まれたむしケーキですね。中国の馬拉糕(マーラーカオ)を下敷きに、日本流のアレンジやふくらます技術、日本で培った洋菓子の技術をかけ合わせて作ったのが、このロングセラー商品です。

マーラーカオがモデルとなっているのですね。

あんぱんもむしケーキも、昔からの技術と新たに入ってきたものをかけ合わせて、日本の文化に合ったものを生み出しています。それは私たちのコアにあるものかもしれません。そこから、「楽しさと誇りの融合をつくる」という理念も生まれました。

そういった経緯から誕生した商品を、私たちは当たり前に食べているんですね。

あんこファンのすそ野を広げ、お客様と一緒に「定番」を作る

「当たり前になる」とは、とても大変なことだと思います。いつの時代でも新しいものは世に発信されていますが、その中において生き残っているものは本当に一部です。

「定番になる」とは、とても大変なことですよね。

そうですね。定番になるためには自社でその味を守るだけでなく、お客様がその味をご家庭でつないでくださることがとても大事なのです。以前、お客様から「うちの母が好きでしたので、私もあんぱんを好きになりました。きっと子どもも好きになると思います」という内容のお手紙をいただいたことがありますが、木村屋總本店の味を伝統として守っていただいていることに改めて感謝しなければならないと感じました。また最近では、縦で伝統を守り、横のコミュニティで味を守ることの重要性を感じ、そのためのストーリーを作っていくことが大切だと考えています。

横のコミュニティというと、銀座のみなさまもそうですね。

はい。「銀座における感動体験」といった観点で、共有できる点もありますから。その一環として、和菓子をより身近に楽しんでいただきたいという思いで、あんことお酒と音楽をコンセプトに立ち上げられたのが「アンコマンないと」というイベントです。ノンプロモーションながら友達の輪が徐々に広まり、今では20代、30代など若い方もたくさんいらっしゃってくださいますね。普段は予約しないと買えない商品も、そのイベントでは食べ放題だったりするんです(笑)。

争奪戦になってしまうパターンですね(笑)。

お酒を飲みながら最中を召し上がるお客様もいらっしゃいます。そういったシーンを前にして実感したのは「我々が考えていたほど、あんこは敬遠されているものではない」ということ。新たな楽しみ方をもっと提供するなど、あんこやパンを習慣のなかで根づかせていくためにできることはまだまだあるのだと思います。

それも、新しい融合といえるかもしれませんね。

光伯さんの代で起こったイノベーションも数多くあると思います。包装やデザインについては、定期的に見直しが行われているのでしょうか。

パンの包装などは定期的に見直しています。袋や箱については昔ながらの味も残さなければなりませんので、そういったバランス感覚はまだまだ勉強中ですね。

「不易流行」という言葉もありますが、実現するためのバランス感覚は難しいですよね。

では次にお聞きします。木村屋さんには多くのファンがいらっしゃるかと思いますが、客層の変化などは感じられますか?

年齢層で見ますと、20年前も40年前もメインのお客様は60代・70代の方々です。そのままエイジングするのかと思いきや、世代はちゃんと受け継がれていますね。

お店には、若い世代のお客様も多くお見えですよね。

そうですね。銀座でしたら、観光で来られて170円、180円くらいで購入できるものがあるのは、恐らく私たちのお店くらいではないかと(笑)。ですから、若い方もいらっしゃいます。また、最近はパンやあんこを召し上がる若い方々も増えてきている気がしますね。

そういえば、今日はジャムパンの話もお伺いしたいと思っていたんです。

ジャムパンも苦肉の策から生まれたんですよ。端的に申し上げますと、ジャムサンドビスケットといった商品を別会社で扱っていまして、そのジャムが余ったのではないかと(笑)。もちろん「パンにジャムを挟むとおいしいのでは」という発想もあったと思いますが。

私が子どもの頃に愛してやまなかったジャムパンが、そのような背景から生まれたとは(笑)。やはり、イノベーションは手探りの結果として生まれるということですね。今日のお話をお聞きして、定番になっていくことの難しさを改めて思いました。では、これからの定番を作っていくために、現在取り組まれていることがあれば教えていただけますか。

若い世代の方にもしっかりと菓子パンを楽しんでいただきたいという思いから、木村屋という名前とは別に、キムラスタンドなど、サブブランドを展開しています。こちらでは、かわいらしい、見ても楽しい、SNSでの写真映えも良い、といった今までにない切り口で新しい菓子パンをご提案しています。身近なスーパーでも、観光に訪れた銀座でも、新しくてかわいい木村屋を楽しんでいただきながら、様々な接点をお客様と共に作っていくこと。それが、現在の私たちがベースとしていることです。それを繰り返していくことで、世代を超えて味をつなぎ、定番を作っていきたいですね。

“あんぱん”が当たり前のように食べられているという現在の背景には、いただく側の私たちも味をつなぐ役割を担っていたという事実がありました。だからこそ木村屋總本店がこだわるのは、あんこをはじめとしたおやつの美味しさや楽しさの提供であり、それらを叶える職人の経験ともの作りの歴史。老舗が繰り返す試行錯誤とともに私たちも「定番」作りに参加しているのだと考えると、少し誇らしい気持ちも湧いてきます。その分、これからいただくおやつの味わいは今までよりも深く、美味しく感じられそうです。

※この対談を動画で見たい方はコチラ

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