Tokyo

11/21 (木)

毎日どぜう汁を食べ、味を確認する。江戸時代から続く名店「駒形どぜう」の当代が示す、味を守る姿勢

享和元年、1801年に創業した「駒形どぜう」。提供する「どぜう鍋」は江戸時代から庶民に親しまれ、200年以上の歴史が感じられる味わいです。そんなどぜう鍋はどのように作られているのか、六代目越後屋助七さんにお話を伺いました。

前編の記事~

時代が変わっても、「味わい」だけは絶対に守り抜く

ではここで、7月1日から3日のお話をぜひお願いします。

7月1日頃からどじょうが一番美味しくなる季節です。昔はクーラーのない時代だったので、みんな汗をかいてどじょうを食べたそうです。その時、お中元代わりに、お礼に団扇を差し上げます。昔は1日だけでしたが、現在は3日間、7月1日から3日まで、ご来店いただくお客さま、皆さまに団扇を差し上げます。

結構しっかりとした、駒形どぜうさんオリジナルの団扇をもらえるということなので、皆さんぜひ。これはめちゃめちゃいいですね。お値打ち物ですので、どじょうを食べに浅草まで来ていただければと思います。そしてもう一枚、写真ありますね。

それがですね、うちの一番の売りでございます。これが「どぜう汁」です。創業した頃は、うちは一膳めしやでした。売りものは、「どぜう汁」とご飯とお酒しかなかったんです。早い、安い、うまいみたいな感じでした。日本橋に市場があったんですが、うちの前の江戸通りはその市場に卸す八百屋さんとか、青屋さんとかが馬車や牛車で通っていました。それで朝早く、もう5時頃から「どぜう汁」とご飯をやっていたんです。そのうち、三代目が「どぜう汁」だけじゃなく「どぜうなべ」もやろうといって、三代目から「どぜうなべ」をやることになったんです。

そうなんですね。

初代から三代目までは、もうほとんど「どぜう汁」とご飯だけのお店だったんです。三代目がすごく気が利く人だったので、どじょうを使ったいろんな料理のバリエーションを考えたんですね。

私も「どぜう汁」が好物で。お伺いすると必ず食べるんですけれども、どんなお味なのかを皆さんにご紹介いただいてもよろしいですか。

これは江戸甘(えどあま)という、江東区にあるちくま味噌のオリジナルのお味噌で、ちょっと甘味噌ですね。江戸の味噌は、信州の人が多かったので辛味噌が多いのですけど、これは三重県の松阪で作られた味噌です。あちらは関西風ですから、少し甘いお味噌です。これにどじょうが合うんじゃないかといって初代から使っています。だからうちとお付き合いのある取引先の中で一番古いのは、ちくま味噌さんです。

200年来のお付き合いってことですね。ちくま味噌さんも老舗の会社さんでいらっしゃって、お味でいうと、何と言いますか、洋食でいうとコーンスープを想像していただければ。

そうですね。とろっとした感じですよね。とろみが苦手な方もどじょうと一緒にあまり抵抗なく食べられます。あと、ごぼうが入っています。ささがきごぼうといって、これも全部、うちの職人さんたちが削っているんですよ。これにさっきの薬味とネギをギュッと入れて、七色をちょっと入れてご飯と一緒に食べたらもう最高ですね。これも江戸からの「安い、うまい」の名物です。

では、駒形どぜうさんの考えるブランドについて教えていただけますか。

初代が享和元年にこのどじょうの店を開いたわけですが、どじょうというのは、当時、田んぼの中に本当に豊富にいたわけです。うちの初代は埼玉県から出てきています。埼玉県ってどじょうがたくさんいるところで、それで自分も食べていたのでしょうけど、「これを商売にしたい」といって、江戸の一膳めしやに入って、いろいろ考えてスタートしたわけです。だから代々、うちはどじょう以外は扱わない。どじょうだけでやろう、ブランドを大事にしたいということになりました。
三代目はちょっと変わった方でした。三代目がお伊勢参りに行った帰りに、大阪まで行って、そこで鯨を食べたそうです。「これは何だ」って聞いたら「これは鯨だよ」と。鯨の皮のところの脂身を食べて感動しまして。「これをうちへ持ってきて売ろう」と思ったのです。その時は江戸時代の、大きいものと小さいものとを扱う、大小(だいしょう)という思想があったんです。どじょうは一番小さい魚で、鯨が一番大きな魚だということで。
その頃、江戸では鯨は食べるものではなくて、見せるもの。見せ物だったんです。両国広小路といって、今の両国橋のたもとにある広小路というのは、火事があるといけないというので広場になっていたんですね。そこに見世物小屋があって、東京湾に揚がった死んだ鯨を持ってきて、小屋を作って見せていたんですね。
そういう、東京では食べたことないものをお伊勢参りに行って大阪で食っちゃって、それを持ってきたっていうね。三代目ってすごく変わった人です。どぜう鍋を作り出したのも三代目です。

なるほど。それ以降はどうだったのでしょうか?

そしてうちの父である五代目はもう本当に忠実に、どじょうと鯨以外はやってこなかった。でも母が京都から嫁にきて、「戦争で負けたし、もうこれからは丸のどじょうだけじゃだめだから、どじょうの骨を開いて、柳川というのが京都にあるから、そういうのを食べたらたらどう?」って言ったんです。

父は嫌がったそうなんですが、とにかく食っていくにはこれしかないからといって、柳川を売ったら、柳川の方がよく売れた。それを機に、今度は「蒲焼で売ったらどうだ」って蒲焼を作ったり、佃煮を作ったりしたそうです。そういう風に父には商品のバリエーションを大きく広げてもらいました。

とにかく一店主義。のれんを守るというのは、一店で「ここでやんなきゃだめなんだ」っていうような考えが、うちにはありました。

僕もできるだけ、そういう考えは大事にしたいと思います。できるだけ店には自分がいるっていうね。これがやっぱり伝統を守るとか、そういうことなんじゃないかなと僕は今、思いますね。

変えない部分と変える部分があると。

多少は時代に合わせつつ、本質は絶対変えないでね。

それがブランドにつながってくるのですね。

はい。それが一番大事だと思いますね。

お味とかは?

味は、今の風潮のようにどじょうを洋風に変えるというのではなくて、うちは江戸からの伝統があるのだから、江戸から繋がっている店が、一軒二軒、あってもいいんじゃないかと思っています。だからもう味は頑なに変えない。

味を変えないというお話について2種類あると思うんですけれども。つまり、レシピの分量を変えないのか、感じる味を変えないのかというと、どっちにこだわってらっしゃいますか?

それは味ですね。味が変わらないように。だってお醤油さんでさえ味は変わってきますからね。調合は、ちょっとずつ違うようにしていかなきゃいけない。だから店主である僕などはもう、店にいるときは、どぜう汁は毎日1回は絶対食べます。やはりうちの商品の中の、何を一番大事にするか。それがこだわりだと思いますね。うちの場合はどぜう汁にこだわってほしい。とにかく昔から、もう200年以上続いていることだから、これを変えたらどぜう汁ではなくなっちゃう。僕はそう思っています。

ではお時間もわずかになってまいりました。最後に助七さんに一言いただければと思います。

こういう具合に私どもは味を守っておりますので、楽しんでいただければうれしいと思います。

老舗のブランドを守るため、時代が移り変わっても、その味は変えない。そのために毎日「どぜう汁」を食べているという六代目。そのこだわりぶりが、「駒形どぜう」の信頼へとつながっているのでしょう。

※この対談を動画で見たい方はコチラ

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