子どもの頃から家業を手伝い、その道へ。浅草で最も歴史ある人形焼店「木村家本店」

浅草 人形焼 浅草土産

浅草寺の目の前にある人形焼の店「木村家本店」。慶応4年創業の老舗で、「鳩、提灯、五重塔、雷様」の形をした人形焼が特徴的です。浅草の街で愛され続ける店はどのような歴史を歩み、これからも続いていくのでしょうか。文化事業家の齋藤健一さんとともに、木村家本店の木村淳さんにお話を伺いました。

齋藤さん:本日は、木村家本店の木村淳さんにお話をお伺いします。浅草に行ったら知らない方はいないと思いますが、ご紹介をお願いします。

木村さん:浅草は浅草寺様の目の前で人形焼を焼いている「木村屋本店」と申します。創業は慶応4年で150年を超えています。仲見世通り商店街の中には人形焼き屋が何軒かありますが、当店は雷門から浅草寺に向かって歩いていくと、一番終わりのところにポツンとある小さな店です。

齋藤さん:お店のご紹介もいただけますでしょうか。

人形焼きというと七福神や人形のお顔を想像すると思いますが、当店の特徴として、「鳩、提灯、五重塔、雷様」の形になっています。浅草を象徴するものということで、初代が考案しました。店の後ろには焼き台があって、そこで実際に型を回しながら焼いています。

初代からずっと同じ形なんですね。

木村さん:そうなんです。今は「人形焼」という名前になっていますが、当初は「名所焼き」という売り出し方だったようです。

齋藤さん:当時からあんこが入っているものと入ってないものがあったそうですね。

はい。あんこが入っていないタイプも若い方には人気ですね。

幼少期の「お手伝い」が家業への意識につながった

齋藤さん:木村様ご自身のことについてもお伺いできますでしょうか。

私は昭和44年生まれで、子どもの頃から浅草寺の境内で走り回って遊んでいました。その頃は母親や祖父がお店を切り盛りしていて忙しく、私はもうとにかく暗くなるまで外で遊んで帰ってくるなと言われていました(笑)。17時半ぐらいになったらようやくお腹をすかせて家に帰るような、そんな幼少期を過ごしていましたね。

当時は家のことをどういうふうに見ていたのでしょうか?

老舗という意識はあまりなかったです。商売や経営をしている家が多い地域だったので、友達も皆、同じように外で遊んで来いと言われていて、遊ぶ友達には苦労しなかったです。

当時はどういう遊びをしていたのですか?

公園で缶蹴りや色鬼をやったり、自転車でいろんなところに行きましたね。当時の後楽園球場の方まで行ってぐるっと回ってきたり。

ご両親ともお店が忙しかったそうですが、何かお手伝いはされていましたか?

今考えてみると、小学生ぐらいのときにラッピングの手伝いなどしていたことが、この仕事を始めたきっかけかもしれません。高校生の頃はスキー部の道具代や宿泊費にすごくお金かかるようになって、「手伝ったらお小遣いが上がるんだぞ」なんて言われていました。それで日曜日はせっせと働いて、知らないうちに私の体の中に、人形焼の一連の動作がすり込まれていったような気がします。

老舗さんからは「お手伝いすると小遣いがもらえた」という話をよく聞きますね。

そうなんです。お小遣いをくれると言われたら尻尾を振って手伝っちゃいますね。でもおかげさまで本格的に職業にするときもすんなり入ることができました。職人さんと一緒に仕事をする中で、焼きの技術も少しずつ覚えていきました。

ちなみに大学を卒業して他の道に進む選択肢はなかったのですか? 

大学では誰よりも長く学生をやっていて、24歳の終わりに親に「いい加減にしろ」と言われました(笑)。当時はバブルもはじけて就職難民も多い時代だったので、他に選択肢もなく人形焼屋を継ぐことになりました。

24歳でお店に入られて、最初はどのような勉強をされたのでしょうか?

木村さん:小遣いを稼いでいたときと同じように、職人さんの補佐をやりながら朝は仕込みをしていました。お菓子作りは意外と力仕事なんですよ。上白糖30キロを持ち上げてミキサーに入れたりするのはちょっとしたウェイトトレーニングです。当時20代で体力があったので、そういう仕事を率先してやっていました。子どもの頃から浅草で暮らしていますから、店に立つと大体顔馴染みが店の前を通りかかるんですよ。「今日は真面目そうな顔してるじゃねえか」なんて言われながら、仕事を覚えていきました。

街で愛されるお店といったところですね。代々伝わる家訓のようなものはあるのでしょうか?

先ほどの話のようにスルっと入っていった感じなので、親からこういうふうにしろと言われたことは一切なく、私がこれから家訓を作っていかなくてはと思っています。人形焼きというのは浅草の象徴的なものなので、絶やすことのないようにしなければなりません。そのためにも、浅草を盛り上げるべく祭りなどの行事に積極的に取り組んでいきたいです。それは今後伝えていきたいことの一つですね。

浅草寺の前で人形焼を提供する「木村家本店」。現当主が家業を継いだのは、幼少期の頃の「お手伝い」がきっかけだったといいます。老舗と聞くとどうしても「厳しい」イメージを抱きがちですが、木村さんのお話からはほっこりした雰囲気が伝わってきます。

後編へ続く

※この対談を動画で見たい方はコチラ


齋藤さん:本日は、木村家本店の木村淳さんにお話をお伺いします。浅草に行ったら知らない方はいないと思いますが、ご紹介をお願いします。
木村さん:浅草は浅草寺様の目の前で人形焼を焼いている「木村屋本店」と申します。創業は慶応4年で150年を超えています。仲見世通り商店街の中には人形焼き屋が何軒かありますが、当店は雷門から浅草寺に向かって歩いていくと、一番終わりのところにポツンとある小さな店です。
齋藤さん:お店のご紹介もいただけますでしょうか。
木村さん:人形焼きというと七福神や人形のお顔を想像すると思いますが、当店の特徴として、「鳩、提灯、五重塔、雷様」の形になっています。浅草を象徴するものということで、初代が考案しました。店の後ろには焼き台があって、そこで実際に型を回しながら焼いています。
齋藤さん:初代からずっと同じ形なんですね。
木村さん:そうなんです。今は「人形焼」という名前になっていますが、当初は「名所焼き」という売り出し方だったようです。
齋藤さん:当時からあんこが入っているものと入ってないものがあったそうですね。
木村さん:はい。あんこが入っていないタイプも若い方には人気ですね。
齋藤さん:木村様ご自身のことについてもお伺いできますでしょうか。
木村さん:私は昭和44年生まれで、子どもの頃から浅草寺の境内で走り回って遊んでいました。その頃は母親や祖父がお店を切り盛りしていて忙しく、私はもうとにかく暗くなるまで外で遊んで帰ってくるなと言われていました(笑)。17時半ぐらいになったらようやくお腹をすかせて家に帰るような、そんな幼少期を過ごしていましたね。
齋藤さん:当時は家のことをどういうふうに見ていたのでしょうか?
木村さん:老舗という意識はあまりなかったです。商売や経営をしている家が多い地域だったので、友達も皆、同じように外で遊んで来いと言われていて、遊ぶ友達には苦労しなかったです。
齋藤さん:当時はどういう遊びをしていたのですか?
木村さん:公園で缶蹴りや色鬼をやったり、自転車でいろんなところに行きましたね。当時の後楽園球場の方まで行ってぐるっと回ってきたり。
齋藤さん:ご両親ともお店が忙しかったそうですが、何かお手伝いはされていましたか?
木村さん:今考えてみると、小学生ぐらいのときにラッピングの手伝いなどしていたことが、この仕事を始めたきっかけかもしれません。高校生の頃はスキー部の道具代や宿泊費にすごくお金かかるようになって、「手伝ったらお小遣いが上がるんだぞ」なんて言われていました。それで日曜日はせっせと働いて、知らないうちに私の体の中に、人形焼の一連の動作がすり込まれていったような気がします。
齋藤さん:老舗さんからは「お手伝いすると小遣いがもらえた」という話をよく聞きますね。
木村さん:そうなんです。お小遣いをくれると言われたら尻尾を振って手伝っちゃいますね。でもおかげさまで本格的に職業にするときもすんなり入ることができました。職人さんと一緒に仕事をする中で、焼きの技術も少しずつ覚えていきました。
齋藤さん:ちなみに大学を卒業して他の道に進む選択肢はなかったのですか?
木村さん:大学では誰よりも長く学生をやっていて、24歳の終わりに親に「いい加減にしろ」と言われました(笑)。当時はバブルもはじけて就職難民も多い時代だったので、他に選択肢もなく人形焼屋を継ぐことになりました。
齋藤さん:24歳でお店に入られて、最初はどのような勉強をされたのでしょうか?
木村さん:小遣いを稼いでいたときと同じように、職人さんの補佐をやりながら朝は仕込みをしていました。お菓子作りは意外と力仕事なんですよ。上白糖30キロを持ち上げてミキサーに入れたりするのはちょっとしたウェイトトレーニングです。当時20代で体力があったので、そういう仕事を率先してやっていました。子どもの頃から浅草で暮らしていますから、店に立つと大体顔馴染みが店の前を通りかかるんですよ。「今日は真面目そうな顔してるじゃねえか」なんて言われながら、仕事を覚えていきました。
齋藤さん:街で愛されるお店といったところですね。代々伝わる家訓のようなものはあるのでしょうか?
木村さん:先ほどの話のようにスルっと入っていった感じなので、親からこういうふうにしろと言われたことは一切なく、私がこれから家訓を作っていかなくてはと思っています。人形焼きというのは浅草の象徴的なものなので、絶やすことのないようにしなければなりません。そのためにも、浅草を盛り上げるべく祭りなどの行事に積極的に取り組んでいきたいです。それは今後伝えていきたいことの一つですね。

新着・おすすめ情報

  1. 乃木神社(東京・赤坂)

  2. 「うぐいすもち」とは?どの季節のお菓子?

  3. 国立国会図書館 国際子ども図書館

  4. 「懐石料理」とは?会席料理との違い、茶会で食すのはどちら?

  5. 【第4回】「夏着物」を涼しくおしゃれに楽しむコツ

  6. 足袋を通じて「着物文化」を残していく。老舗足袋屋「大野屋總本店」が目指す場所とは

  7. 勝沼城跡(東京・青梅)

  8. 神田三原堂

  9. 代ごとに味わいや特徴を変える。1816年創業の老舗『常盤堂雷おこし本舗』の経営戦略

  10. 竺仙「5つの奥義」動画を公開しました

  11. 伝馬町牢屋敷跡(十思公園)

  12. 芝大門 更科布屋

  13. 紀文堂総本店

  14. 【東京文学散歩】第3回:早稲田界隈。夏目漱石と早稲田大学、近代文学と文化の香りをたどる旅

  15. 『切腹最中』『景気上昇最中』……ユーモアと美味しさの同居する和菓子を生み出す『新正堂』