【第9回】蕎麦屋で人気の「天せいろ」の歴史

芝大門 更科布屋 店主の独り言 更科そば 蕎麦

「天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

そばにのせる天ぷらの変化

近年そば屋で夏冬問わず一番の売れ筋商品は「天せいろ」です。
しかしこの「天せいろ」は発明されてからまだ80年程度しか経っていない新入りの売り物なのです。

ご存知の様に「てんぷら」はポルトガル語で揚げ物をさす「テンポラ」からきたとも、「天竺からぶらっとやってきた」から等とも言われますが、江戸時代に南蛮船がもたらした珍しい食べ物と言うことで徳川家康もこれを食べ過ぎ亡くなったと言われている代物です。

家康が好んで食べたのが「鯛の天ぷら」で、今で言う唐揚げだったそうです。
天ぷらがこの唐揚げから今のように小麦粉を溶き衣として揚げるようになったのは、1750年代以降と言われています。

そば屋の天ぷらは江戸時代の風俗を書いた「守貞漫稿」では「芝海老の油揚げ三、四本を加える」と書かれており、昭和初期までは芝海老の「つまみ揚げ」か、「かき揚げ」を汁に煮込んだ種物仕立て(今の温かい天ぷらそば)で販売しておりました。 昭和初期のスタンダードは、かき揚げなら芝海老5~6本、つまみ揚げなら芝海老の「ニズマ(2本を一つに摘んだもの)」二貫と言ったところだったように聞いております。

それが昭和25年ごろ、日本橋室町の砂場さんでやや薄目のもり汁の中でこのかき揚げを煮込み、「もりそば」をつけて食べる「天もり」が開発され、それが他のそば屋に広く普及してまいりました。

海老の大きさによって今の「天せいろ」の形に

この天ぷらがいつの間にか「岡」に上がりました。岡と言うのは汁に浸かっていないことです。
その理由を考えると、海老のサイズが大きくなり汁の入れ物に入らなくなったことだと推測できます。

昨今では丼にも入りきれないほどの海老を売り物にしているお店もあるようです。
大きさの変化もありますが、海老の種類も様々です。昔ですと車海老、芝海老、マキ位が標準的でした。

昭和初期に出回っていた海老の種類は約80種、その中でそば屋が使っていたのは20種位だと聞き及びます。当店では昔は「芝海老」と「車海老」と「マキ」でしたが、現在は「車海老」一本となっています。

更科布屋一門では「伊勢海老」の天ぷらを出した歴史もございますが、話題性や賑やかし的発想があったようにも感じています。そば屋では伊勢海老は食べると言うより、正月のお飾りに使われていた事が子供の頃の記憶に残っております。

この記事を書いたのは…

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。
更科布屋ホームページ

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