海外にも愛好家の多い日本刀。ビギナーにとってはなかなか踏み入れにくい世界であるかもしれませんが、刀装具の一つひとつをじっくり見てみると、美術品としての価値の高さに気付かされます。虎ノ門にある「日本刀剣」は、そんな刀の魅力を多くの人に知ってもらおうと、様々な取り組みを行っています。今回は、文化事業家の齋藤健一さんと一緒に、日本刀剣四代目の伊波賢一さんにお話を伺いました。
本日は日本刀剣四代目の伊波賢一さんにお越しいただきました。まずはお店の紹介をお願いします。
元々は新富町で袋小物屋さんを営んでいたのですが、日露戦争から戻ってきた曾祖父が怪我を負っていたことで、骨董品の売買をするような問屋さんに変わったと言われています。大正2年の頃、劇作家の岸井良衞さんが書いた『大正の築地っ子』という本にも伊波の名前が出ています。その後2人の息子が店を手伝う中で、次男の方が今の虎ノ門の地に移動いたしました。当時は武家屋敷や骨董品を扱う店が多かったそうで、そこに出した店が現在に繋がっております。
「ジャパンソード」と大きく書かれた店舗の写真が今も残っていますね。
おそらく1950年代ぐらいの写真じゃないかと思います。第二次大戦後、刀剣を扱っているということで、祖父はGHQの取り調べを受けたそうです。とは言っても、刀の知識があったので、接収した刀剣を廃棄していいか、歴史的な価値があるかどうかの分別作業に駆り出されて、ずいぶんと働いたというのを聞いています。戦前は軍刀を仕込む作業を仕事にして、刀剣業に邁進していたようですね。
素晴らしいですね。伊波さん自身の自己紹介もお願いできますか?
学校を出た後は、銀座の和光という会社に5年ほど勤めさせていただきました。その後2年間ほど博物館に籍を置くことができたので、そちらでも勉強させていただきながら、この業界にがっつり入ってきたという感じです。
まずは商業に行ってから、博物館に籍を置いて研究されたのですね。やはり刀剣となると歴史に対する造詣が必要になりますよね。
代々伝わっている家業ですが、当時はすぐには継ぎたくないという思いもありました。ゼミのテーマはマーケティングだったので、小売業の勉強がしたいと思いまずは和光に入りました。
和光さんは刀剣を扱っていないですね。
そうですね。美術画廊はありますけどね。大学2年の頃には経理を少し手伝っていて、銀行に行ったり帳簿をつけたりしていたので、商売って面白いなと思っていました。だけどその頃は景気が悪く、うちの父はすごく苦労していたと思います。結局、こんなところで働いていいのかなと思い、和光に就職をしたんです。その後、段々景気が良くなってきて、外商部に移動し、すごく売り上げを伸ばしていました。そうやって仕事をたくさんしているうちに、この力を家業のために使ってみたいという思いが芽生えて、戻ってくることになりました。父の体調も良くなかったので、それも背中を押したのかなと思います。
そこで心境の変化があったのですね。その後博物館へ行かれたのですか?
大卒でいきなり新しい分野にチャレンジしてみることはどの業界でもあるじゃないですか。だから何でもできるはずと思っていたのですが、さすがに刀剣の世界は少し勉強しただけでは補えない深さがありました。そんな時、たまたま博物館の席がありましたので、しばらく勉強させていただきました。人生の転機だったかもしれないです。
小さい頃から刀剣には触れていたのですか?
刀は商品ですから触らなかったですね。鍔や目貫などの刀装具はデザインがとても好きだったので、中学生の頃、店頭に立って並べ替えたりしたことはありました。
やっぱりそういうところで、見てないようで見ているものですね。
店の2階では、戦時中に刀剣の外装を作っていました。その技術を生かして、記念品の短剣などを作っている職人さんが何人もいて、3階に祖父母が住んでいたのでよく遊びに行っていました。
武士の気構えを忘れずに商売をしていく
そんな伊波家の家訓は何かあるのでしょうか?
水交社という海軍のクラブが店の近くにあり、山本五十六さんがよく立ち寄りくださったという話を聞いています。その縁で、山本五十六さんに「士魂商才」と書いていただきまして、店舗に飾ってあります。武士の気構えを忘れずに商売をしていこうということですね。
山本五十六さんが書いてくれるってすごいことですよね。
あとは父がよく言うのですが、刀に惚れすぎて自分のコレクションを持つなと教えられています。
それはどういうことですか?
売ろうと思って刀を買うのに、惚れ込んでしまうと手放したくなくなってしまうじゃないですか。そうすると商売になりません。他の美術品をコレクションするのはいいけれど、扱う商品のコレクションはしないようにというのは言われていました。
なるほど。それではイノベーションの話をお聞きしていきたいです。
祖父の富次郎が、黒澤明監督に刀の説明をしているところの写真が残っています。結構お立ち寄りになられたみたいですね。
しっかりと長い刀身がいいですね。
多分古い型なのだと思います。刀って長さや反りなどの形を見ると年代がある程度わかるんです。私たちは鑑定の時にそこをすごく大切にしています。
長いということは馬上で振り回していたのですね。
よくご存知ですね。距離を保って振り下ろせるように、馬上で使う刀は長いんです。
幕末に向けて刀は短くなっていくのですか?
そうですね。反りが少なくなって70センチくらいのものになってきます。
なるほど。個人的にすごく興奮しますね。
マッカーサーの子孫とのつながりもあった
同じく祖父の富次郎の写真で、マッカーサーさんの甥っ子さんと映っているものも残っています。アメリカ大使館にお勤めになっていたそうで、うちの刀装具の技術を見て喜んでくれて、サーベルを作って納めたときの記念の写真です。
サーベルということは洋式の刀ですか?
そうですね。式等に使うもので武器にはなりません。
では、日本刀を知らない方もいると思いますので、ご紹介いただいてもよろしいでしょうか?
火縄銃が入ってきた1500年代には、戦で馬上にいると撃たれてしまうため、よくドラマであるように、大将が後ろに座って周りに人がつく陣を張ることが多くなりました。そうすると刀が長すぎると不便なので次第に短くなっていきました。太刀は長くて刃が下にありますが、刀は刃が上にあります。
柄は模様が華やかですね。
梅花皮ザメといってエイの一種を使用しています。木の上から皮を貼り付けて、ブツブツしているところに漆をかけて、黒い色を沈着させます。そして表面を磨くと白い斑点模様が出てきます。これが梅の花みたいに見えるので、梅花皮ザメというんですね。こういう打刀にはいろいろなデザインの鍔があります。鍔はなんであるのかご存知ですか?
刀を受けたときのストッパーになりますよね。
そうですね。もう一つの理由は、刀ってまっすぐの棒なので、力を入れて刺すと手が刃の方へ滑っていってしまいます。自分の手を切らないように押さえる役割もあるんですね。この鍔だけを集めているコレクターさんも結構いらっしゃいます。
独眼竜政宗が目にかけているのは鍔ですよね。鍔だけとってもすごく凝っていますね。
手が刃の方に行かないように防御するためだけならただの板でいいはずなのに、このように凝ってしまうのが日本の文化というか粋ですよね。鍔にはすごくファンも多いのですが、ほとんどの人がコレクションを箱に入れてしまっているだけ。先ほどイノベーションの話が出ましたが、本当は鍔も飾って愛でてほしいなと思っています。ということで、鍔を額に入れて、絵画と同じように楽しんでもらうというのも今取り組んでいる課題ですね。
山本五十六から譲り受けた書「士魂商才」を掲げ、武士の気構えを忘れずに商売をしているという「日本刀剣」。刀剣の世界は一見ハードルが高いようですが、実は絵画のように楽しんでほしいと言います。そう、刀剣は美術品なのです。
後編へ続く
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