『鰹節屋なのに経営スタイルは金融のそれ』そう語る「にんべん」十三代目の高津伊兵衛さん。もはや鰹節といえば真っ先に名前が浮かぶほど庶民の生活に浸透しているにんべんを、321年もの間持続させてきた老舗の矜持とは何なのか。そこから読み取れる大口顧客獲得、キャッシュフロー経営、マーケットニーズの鋭敏な読み取りなど、現在にも通用する経営への信念について、文化事業家の齋藤健一さんと一緒にお聞きしていきます。
~前編はこちら~
武家から町人へとお客さんが変わっていった後はどんな感じだったんでしょう?
そうですね、江戸の後半になってきますけど商品券出したりとか。1830年ぐらい、6代目だと思います。
当時商品券っていう制度は普通にあったんでしょうか?
お菓子屋さんで、それを持ってくるとお菓子と交換できるみたいな商品切手はあったように聞いています。ただ、たくさんそれを発行して商売として回していったっていうのは、初めてかもしれない。
イノベーションの連続ですよね、本当に。
要は大量に発行して、商売として回していったわけです。これが最初に出した、銀で出来た商品切手です。結構ちっちゃいんですよね。銀で出来ているので、この銀の価値と同等の鰹節と交換するっていう仕組みを始めた。
すごい。もうだってそれ、貨幣経済ですよね?
言ってみればそうです。なので勝手にこんな貨幣みたいなものを出しちゃいけないんで、一応裏に「定める」って書いてあって、お上に認められているっていう印です。一応そこまで信頼があったんでしょうね。
銀の混ぜ物とかしたら駄目だから、にんべんさんだったらちゃんとやってくれるだろうからいいですよって言われた、と。
ちゃんとした銀である、っていうことを認めていただけたんでしょうね。ここに書いてあるのがその貨幣の値段で「2匁」って書いてあるんですけど、1両が60匁っていう単位ですから、1両の30分の1ですね。一両が当時確か10万円ぐらいって言われていますので、これだと3300円ぐらいの鰹節と交換したんじゃないかと言われています。
3300円の鰹節って結構ですよね。
一本か二本でしょうね、今で言えば。小さいもので二本、大きければ一本、ですね。
どういうニーズで商品券になったんでしょうかね。
それは直接聞いてないからわからないんですけど。みんななんで出したんでしょうねって言うんですよ。
不思議ですよね。多分ギフトニーズがあったんでしょうね。
それもあったかもしれないですね。鰹節は大きくて重いですから、これであれば小さくて、大量に贈り物としては使えますよね。あと銀の価値自体もありますから、もし鰹節と交換できなくても、銀としての価値が落ちないですから。ただこの商品券を出したときに、こんな銀の貨幣のようなものを作って、手間ばっかりかかって、同じ価値と交換…じゃないですか、儲からないですよね。
なんとなく疑問に思ってモヤモヤしていたけど聞けなかったことです(笑)。
これで信用していただけた後は、紙の商品券を大量に発行しているんです。それでコストが下がって、もっと大々的に展開していった。
死ぬほど儲かるパターンですよね。お金刷っているのと一緒ですからね。基本的にみんな交換しないので、前受ですよね。
これがキャッシュフローに莫大な効果があったと思います。
初代からキャッシュフロー経営をやっぱりやっているんですね。体質としてそこがあるんでしょうかね。
結果的に後から見ると、鰹節屋なんですけど、金融ですよね。
金融ですよ。商い大好きですね。商い飽きたことない、っていう(笑)。
しかも鰹節自体も保存がききますからね。保存食ですから。そういった商売のスタイルとすごくマッチしますもんね。ストックしておいて、求められたときにすぐ出せるし。それはめちゃめちゃ大きいイノベーションですね。キャッシュフローに関わるイノベーションが多いですね。
これがあったんで、多分江戸時代から明治に変わるとき、国が政府が変わるときに乗り越えられたと考えているわけです。
強烈な事件がありましたけど。私の口から喋っちゃいけないと思うんですが、某徳川の幕府さんが、ねぇ。
御用金とかいろんな大名が出していたものが回収できなくなった、不良債権ですね。
いやだって明治維新とか坂本龍馬とか何とか言ってますが、いやちょっとよく考えてくれと、幕府っていう取引先がなくなっちゃったんだ、ということですよね。徳川家の今10何代目とか言う人たちいるじゃないですか。ちょっと払ってくださいみたいな…でもあれは会社であって個人ではないので、みたいな…。
個人補償がね。
ですよね、個人補償すごくついていますね。そのキャッシュフローでやっと江戸時代を抜けて今、明治に差し掛かってまいりました。
100年ちょっとですかね。
鰹節に“カビ”を付けるという大革命を起こす
明治維新の時期には大きなイノベーションがあったんでしょうか?
そこで鰹節におけるイノベーションが起こりました。カビ付けをして何度も乾燥させて熟成させる「本枯鰹節」というものができました。
本枯は明治からなんですか。
と言われています。明治というか江戸末期から、ですね。
いわゆる生ぶしといいますか。
もともと荒節という燻した状態のもの、その後にカビをつけるという。麹菌の仲間ですね。
どのように思いついたんでしょうか?
一節によると、昔は大阪から鰹節を運んでいたので、その船で運ぶ間にカビが生えてしまって、それを取っていたけど取り切れず、でも食べてみたら美味しくなっているということに気づいたと。それでカビをつけるということを積極的に行って、作らせたということです。
日本人大得意のやつですね。突き詰めるの超得意ですからね。カビ付けるなら徹底的につけよう、みたいな。
最初は偶然なのかも知れないですね。
そうですよね。ニョクマムの発祥も偶然だとか言われることもありますね。魚置いといたら魚醤になった、っていう話もありますよね。
やっぱり湿度が高いっていうのもあるし。
それを積極的に推奨するのもまた、難しい判断ですよね。
何でもそんな感じかもしれないですが、最初の人よく食べたなって思いますよね。納豆とかナマコとか、最初食べた人本当に偉いですよね。なんと本枯鰹節もそんな経緯で生まれたんですね。でもそれより前の時代もでもきっと、そういうことになっていたはずですよね。
そうそう、1回だけカビをつけるっていうのは、もっと前からあったんです。ただそれを何度もやるっていうこととは目的が違っていたので。
それによってやっぱり水分量が減って、乾燥されて旨味がギュッと凝縮される。世界で一番堅い、んですよね?
いや、最近それを言わないようにしているんです。弊社の研究開発部から、飴の方が硬いとか言われているようで、ちょっと今言っていません。世界一級の堅い食品みたいな、そういう表現になっています(笑)。
要は鰹節ってすごく硬いので、保存食というか発酵食品の中で一番硬い、とか。食品の中というより発酵食品の中で一番硬い、って言えばいいんじゃないですか?
最近は発酵食品もいろいろ言われていたりして、発酵じゃなくて熟成なんじゃないかという学者さんがいたりしてね。
鰹節は発酵していないっていう可能性がある、熟成の可能性もあると?
発酵というとそのもの自体が結構変わりますよね。牛乳がヨーグルトになったり。鰹節自体はそこまで変わってないものの、カビをつけることによって酵素の影響はありまして。熟成食品みたいな表現だったり、どう表現するべきかを研究室と話したことはあります。今もちゃんと正しいことを言えているのか、社内の校正がかかりそうな気がします(笑)。
広報がOKかっていうところがちょっと心配ですけれども。そして明治で本枯、その後はいよいよ昭和って感じでしょうか。
明治のとき江戸幕府というお客さんはなくなったんですけど、明治政府の重要な大口の方とも商売をできたので、新しいお客さんは続いて作れたようです。三井家とか岩崎家とか。
そして、にんべんを代表する二大商品が生まれた
やっぱり基礎戦略が決まっていますね。大口顧客をしっかり取るっていうこと、キャッシュフローにこだわるっていう二つの大きい柱がありますね。それ以降、特に戦後からは大量にイノベーションが起きたんじゃないでしょうか?
大正で関東大震災ですよね。そこまでは比較的順調だったみたいですね。
社業としても順調な時期が続いて、手堅く明治政府ともずっと上手くやって、そして大正に入る、と。
大正はやっぱり関東大震災があったじゃないですか。江戸時代から200年燃えずに続いてきた日本橋店が、燃えちゃったんです。
大正で一回燃えているんですね。
資産としても当時かなり大きいですね。
そうでしょうね。すぐに仮店舗で商売だけはすぐ再開して、商いを止めない、っていうことをやって、仮店舗から翌年に戻って日本橋でまた商売を続けました。
江戸の火事ネタもあるんですよね?にんべんさんが巻き込まれたわけじゃなくって?
関東大震災には巻き込まれたんですけど。それまではまた江戸時代に戻りますけど、幕府から燃えないような土蔵造りにしろという推奨があったんで、1700年前半の享保の時代に変更して、それから200年燃えなかったっていうことです。
せっかく燃えない作りにしたのに、大正になって燃えてしまったんですね。
大正年間はイノベーションとしては何かあるんでしょうか?
(被害から)立て直していったぐらいですね。
そしていよいよ昭和に入ってきて、大きな会社としては大量にイノベーションがありますよね。
最初の方は、あんまり聞いてないんですよね、戦争があったんで。戦時中は公正経済なので、与えられたものを配布する、休業みたいなものですよね。戦後になってから商売を再開して、その時に社名をにんべんという名前に変えています。
それまでは名前は?
最初は伊勢谷伊兵衛という名前が出ていて、その後に株式会社高津商店になりました。
なんで『にんべん』なんでしょうね?
大体定番で聞かれるんですけど、伊勢谷伊兵衛って漢字ににんべんが付いていまして。私達のマークも金にんべんっていうマークを使っています。金尺と、にんべんを合わせたものが私達のマークとなっているんですけど、これを見た人が昔から「にんべんさん」って、伊勢谷の時代から呼んでくださっていたんですね。いろんな刷り物にもひらがなで伊勢谷と併記して、にんべんって書いていたんです。戦後に、その認知が高いにんべんという名前に変えた、というわけですね。だからお客様が呼んでくださっていた愛称を社名にしたんです。
そして屋号を変えられて、ここから爆発的なイノベーションの数々が出てくると思うんですけど、戦後のお話をぜひお願いします。
現在まで主力になっているような事業なんですけども、『フレッシュパック』と『つゆの素』という商品を開発することができて、加工食品を販売して現在に至っています。
フレッシュパックは革命ですよね。
私が生まれる前、当時は鰹節自体が斜陽産業って言われていまして。パパっとかけるような調味料に押されて、家庭で削る習慣というものが廃れていって、それをもう一度復活させるきっかけになった商品です。削りたての鰹節がいつでもどこでも簡単に使い切れて、美味しく召し上がれるというような商品ですが、それを確立する技術が当時開発されたということなんです。ガスの充填を支える袋、酸素を防ぎ、水分を逃がさないフィルムができて、そういったことが確立できたということです。
この技術の進歩・イノベーションがそのままにんべんさんの商品のイノベーションになったということですよね。
容器革命でもありますよね。
そこの情報をキャッチできる場所にいないと他のメーカーに先んじられちゃうと思うので、やっぱりそこにいられて投資ができたっていうのがポイントでしょうね。
数年前からそういった削りたての鰹節を手軽に、とずっと思いを持って開発をしていたようです。
そのアイデアは意識していないと出てきませんもんね。マーケットに対する問題意識・課題意識っていうのがあって、っていうことなんですよね。3番目の柱がまた出てきますね、キャッシュフローとかに続く3番目の柱が、マーケットニーズなんですね。そしてつゆのお話もしていただけますか?
『フレッシュパック』が出る5年前、当時からいろんなめんつゆがあったんですけども、初めて鰹節の本物のお出汁を入れて密封した、という商品でした。めんつゆだけではなくて、料理とか煮物に使える汎用性の高いものとして開発したので、非常に市場に定着しました。現在でもその二つが我々のメインの事業になっています。
創業時の、いわゆる鰹節っていうものもありましたし、その後本枯が出てきたっていうところでも一つラインナップが変わって、そこに戦後の日本経済成長期に皆さん時間がなくなってきて、時短ニーズが出てきたところにフレッシュパックとつゆが登場したと。その二つはお父様の代ですか?
発売時点は先々代、その後先代が伸ばしていきました。
その後またいろんなイノベーションが起きるわけですけれども。
今取り組んでいる最中ですね。小売の方で『日本橋だし場』という出汁コミュニティを、味わったり楽しんだりしてもらうような場として作っています。結果的にお出汁を知っていただく機会というものが非常に多くの方から支持していただけて、お出汁の領域に商品が広がってきつつあります。
最後に高津さんからイノベーションについて一言まとめをお願いしてもよろしいでしょうか?
長い間やってきたいくつかの新しいことが支持していただけた、ということ。それが結果的に続いてきたんじゃないかなと思っています。現在もやはり新しいことを続けていく、取り入れていくってことは引き続きやっていきたいと思っていますね。
「新しいことを続けていく」。それは決して容易なことではありません。だからこそ、それを体現してきたにんべんは、鰹節業界での地位を確立できたのでしょう。そのチャレンジはこれからも続いていきます。
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