お客様からの要望に応えることがイノベーションにつながる。乳製品の大手「中沢乳業株式会社」

大森・蒲田乳製品牛乳

日本中のスーパーで商品が扱われている乳製品の大手企業「中沢乳業株式会社」。そのスタートは、明治元年、新橋に牛4頭の小さな牧場を作り、牛乳の製造販売を始めたことでした。食の西洋化とともに大きく成長していった中沢乳業株式会社は、現在に至るまでどのような道のりを歩んできたのでしょうか。代表取締役社長の中澤謙次さんにお話を伺いました。

林:本日は中沢乳業株式会社代表取締役社長の中澤謙次様にお話をお伺いします。まずは中沢乳業についてご紹介いただければと思います。

中澤さん:1868年(明治元年)、新橋に牛4頭の牧場を作ったのが始まりです。当時の東京はちょうど西洋化の波が押し寄せていて、ケーキ屋やホテル、西洋料理の店などがあちこちにでき始めた頃でした。元々はそういった近場のお店に乳製品を納めていたのですが、そこで修行した職人が日本全国に広がって店を持つようになり、弊社の商品も日本中に広がっていきました。

新橋に牧場があったのというのが驚きですよね。牧場はいつ頃まで存在していたのでしょうか。

中澤さん:明治時代まではあったようです。江戸の末期頃までは、京橋、日本橋が街の中心で、銀座は街の外れ、新橋は片田舎でした。品川までの通り道に過ぎず、汐留あたりは何もなかったようです。そんな街の外れで少頭数の牛を買って始めた商売でした。

西洋化が始まって牛乳の需要が上がってくる時期に、そういった良いエリアに牧場を作られたのですね。では、中澤様の自己紹介もお願いできますでしょうか。

私は次男だったので、高校までほとんど野球しかしていませんでした。でも、大学に入ってから兄が出ていってしまったので、そんなつもりは全くなかったのですが、自分がやらなきゃいけない流れになっていましたね。やはり代々一生懸命やってきた商売なので、しっかり繋いでいく必要性があると決心しました。

小さい頃は家で中沢乳業の製品を食べられたりしたのですか?

そうですね。父が買ってくる専門店のケーキはすごく美味しかった記憶があります。というのも、ある日友達の誕生日パーティーで出されたケーキが、いつも食べているものと違うように感じて食べられなかったんです。その時は理由がわからなかったのですが、今になって考えてみると、クリームの質が違ったのではないかなと思います。やはり普段から上質なクリームを使ったケーキを食べていたのでしょうね。

実は小さい頃から中沢乳業さんの美味しいものを食べていたので舌が肥えていたということなんでしょうね。そんな中澤さんのお家に家訓のようなものはあるのでしょうか?

「裸」「愚痴を言うな」この2つの言葉を胸に刻む

特に家訓というわけではないのですが、私自身に刻まれている言葉が二つあります。一つは「裸」です。1980年以降から社長を務めた方が「裸」という文字を社長室に飾っていました。それは、裸であっても人に後ろ指をさされる生き方だけはせず、真面目に経営をしようという意味です。もう一つは、父が書いた書で「愚痴を言うな。泣いたら駄目だ。怒ったらなお駄目だ。仕方がないと諦めたらおしまいだ。やるしかない。そう思ったとき必ず道は開かれる」という言葉です。これらの言葉は、自分が商売をしていく上で大事にしていることです。

「怒ったらなお駄目だ」のあたりはすごくいいですね。怒ることでコミュニケーションをとっても問題解決には至らないですしね。中沢乳業さんの歴史の中にも様々なイノベーションがあったと思いますが、そちらについてお伺いしてもよろしいでしょうか?

イノベーションはお客様からいただくことが多いです。創業当初は牛乳を販売していましたが、お客様の要望で生クリームを作ってほしいと言われました。当時は機械などないので、搾りたての牛乳を置いておいて、浮いてきた脂肪をスコップですくって作っていたんです。おそらく日本で製造していたのは私達が初めてだったかも知れません。そして少しずつ市場が大きくなり、海外の設備を導入して機械化しました。

 

それから戦後、近くにあるロシア大使館の方に「スメタナ」を作ってほしいと言われました。生クリームに乳酸菌を入れて作る、サワークリームの一種です。

今でこそ広く普及している「クロテッドクリーム」も、新宿のホテルの料理長が「イギリスにこういうクリームがあるんだけど作ってもらえないか」と相談に来られて開発したものです。最初は見よう見まねで作って、徐々に広がっていきました。

ここ最近であれば、「レリボ」という乳製品を作ってほしいとフランス人のシェフに頼まれましたね。開発部が実際に現地を視察してきてサンプルを出したところ、そのシェフが最初に言った言葉は「これはママの味だ」でした。ちなみに数年前から販売していますが、びっくりするほど売れません(笑)。ただこれはフランスの文化なので、儲かるだけではない商品も用意しておく必要があると考えています。このように、新しい製品のイノベーションはお客様からきっかけをいただくことが多いですね。

市場のニーズがあって、それにお答えして作っていくということを積み重ねてきたのですね。プロダクト以外にもいろいろなイノベーションがあると思いますがいかがでしょうか?

現在は、これからの少子化社会にどう適応していくのかという問題解決にトライしています。子どもの人口は過去20年で2割ほど減っていますから、子どもの誕生日ケーキに使用する乳製品や生クリームは当然その人数分売り上げが落ちてしまいます。確実にマーケットがシュリンクしていくので、これに対して我々はどうアプローチしていくのか。

さらに、20歳の人口がすごく減ってきています。2000年で約200万人。去年が約124万人。去年の出生人口が85万人と考えると、20年後の20歳の人口は本当に限られますよね。物作りの業種は人集めに非常に苦労するので、そこをどうやって補っていくのかが今の大きな課題です。

人口減少というのは日本企業全体に大きくのしかかっているテーマですよね。中沢乳業さんはその問題に対してどのような解決策を考えているのですか?

中澤さん:これからは国外にも目を向けていかなければいけません。さらに、牛乳や乳製品は主体ですが、それ以外の分野にもアプローチしていきたいです。例えば、1人のお客様が10人で1億のビジネスをしようと思った時に、5人でできるようにするにはどうしたらいいかを考えますよね。それを叶える商品を私達が提供していくわけです。お客様も省力化したビジネスができて、私達もそこに新しいマーケットを作っていくことができます。

乳製品でもそういったアプローチが可能なのでしょうか。

中澤さん:例えば、個人でカスタードクリームを炊くとなると、結構大変な作業なんです。その部分を効率化できるように私どもが請け負って、プロの職人でも「これなら使える」と納得できるクオリティの高い商品を提供していく。プロの方が作るものと同じレベルのものをどうやって作っていくのかが大きな課題ですね。

素晴らしいですね。鰹節の老舗のにんべんさんも、料理人の手間を省けるものをということで、おだしと醤油を混ぜたつゆを商品化していらっしゃいました。それはすごく大きなイノベーションだと思います。

生クリーム、クロテッドクリーム、レリボ……。いずれの乳製品もお客様から「作ってほしい」と要望があり、それに応えることで生み出してきたそう。ニーズを汲み取り、商売に反映させる。その姿勢は企業を存続させていくための鍵と言えるかもしれません。

後編へ続く

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