【第26回】三色や五色といった色にまつわる蕎麦の話


芝大門 更科布屋 店主の独り言更科そば蕎麦

「天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

三色そばや五色そばの起源とは

お蕎麦でなじみのある数字といえば三と五です。
三色(さんしょく)そばや五色(ごしき)そばなどが有名ですね。

当店更科布屋のお家芸は家伝の「色物変わりそば」ですが、この三色そばや五色そばと言う言葉が文献に登場するのは、寛延4年(1751)の『蕎麦全書』が最初とされております。

現在三色そば、五色そばと言うと3月3日の雛祭りを結びつけますが、ここでの三色そば、五色そばというのは、雛祭りとは何の関係もなく当時人気のあったそば屋の「売り文句」として記述されているだけでした。

一方、雛祭りとそばの縁は、江戸時代中期に溯り文献で確認できるのは18世紀半ば過ぎ頃からで、節句の翌日の3月4日に雛人形にそばを供えてから雛を仕舞う習慣がその縁の始まりでした。この習慣は江戸が東京に変わった現代でも旧家を中心に綿々と続いております。

ただし、江戸の文献はそばを供えるとしているだけで、見た目にも鮮やかな変わりそばによる三色とか五色蕎麦の盛り合わせとはなっておらず、いつ頃から変わりそばが使われるようになったのか、はっきりとは分かっておりません。

ちなみに、変わりそばで最も古いとされている卵切りが文献に出てくるのは、『蕎麦全書』と同時期の寛延3年、次の紅切りは天明7年(1787)で、海老切りは寛政12年(1800)まで待たねばなりません。すると寛延頃の三色、五色とはどんなそばだったのか。興味をそそられますが手掛かりが無いのです。

五色そばの5色は古代中国の陰陽五行説から

現在は変わりそばの作り方(色や香りを作る材料の色々な打ち込み方)が全て分かる指標として以下で説明する5色が使われております。それぞれが工夫を凝らして、季節に合わせた材料を使ってお蕎麦の世界を演出していると言う訳です。

5色とは「黄・白・黒・赤・青」を指しており天地の世界を表しているとされています。お蕎麦の盛り方も風水の方向と同じとされ、四角い蒸篭の中央が「大地の黄」 「上は北東で青竜が位置する青で季節は春」 「左上は北西で玄武が位置する黒で季節は冬」
「右下は南東で朱雀が位置する赤で季節は夏」「左下は南西で白虎が位置する白で季節は秋」となる決まりです。

五色蕎麦の5色を出すには色々な材料の組み合わせがありますが、基本は「白は更科そば」 「黄色は卵切りそば」 「黒が胡麻切りそば」 「青(実際には緑色)で茶そば」「赤は鯛切りそば」となっています。当店ではこの5色の内から3色を取り、季節に合わせて月替わりの材料を打ち込んでお届けしております。

この記事を書いたのは…

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。
更科布屋ホームページ

 

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