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剣菱酒造|創業1505年、味を変えない酒を四代目当主が語る【動画】

剣菱酒造(けんびししゅぞう)は、兵庫県神戸市東灘区御影本町で酒を造る蔵元です。公式サイトは創業を「永正2年(1505年)以前」と記しています。室町時代の後期、まだ織田信長が生まれる前から続く銘柄で、江戸時代には八代将軍・徳川吉宗の御膳酒に指定され、赤穂浪士が討ち入り前に酌み交わしたとも伝えられてきました。

ただし剣菱の五百年は、一つの家が守り続けた五百年ではありません。伊丹で創業した稲寺屋から津国屋(坂上家)、稲野家、池上家へと銘柄そのものが受け継がれ、昭和3年(1928年)に五家目の白樫家へ渡りました。現在の当主・白樫政孝氏は、白樫家としては四代目にあたります。

agataJapanのYouTubeチャンネルでは、その白樫政孝氏が語る約47分のインタビューを公開しています。番組名は「伝統はイノベーションの連続である」。けれども剣菱の家訓は「止まった時計でいろ」——流行を追わず、味を変えないという、番組名とは正反対にも見える言葉です。この記事では動画の内容に加えて、創業年と沿革、灘五郷という土地の背景、商品と買える場所を、公式サイトなどで裏を取ってまとめました。(本文の事実関係はいずれも2026年10月11日に確認しています)

動画で語られているのは何か

この回はCIC Tokyoから配信されたライブシリーズで、概要欄に章立てのタイムスタンプがありません。また字幕データを取得できなかったため、発言をそのまま引用することは控えています。ここでは動画の基本情報と、概要欄に記されている事実を整理しておきます。

  • 動画タイトル:日本の老舗〜伝統はイノベーションの連続〜 剣菱酒造四代目 当主 白樫政孝 氏(CICライブ)
  • 公開日:2021年8月19日(日本時間) / 長さ:47分23秒
  • 語り手:剣菱酒造 四代目 当主 白樫政孝氏(動画タイトルと概要欄の表記)
  • 概要欄に記されている情報:社名「剣菱酒造株式会社」、創業「永正2年(1505)以前」、公式サイトのURL
  • 番組の趣旨:3代100年続いてきた秘訣として、伝統と革新、家訓など普段あまり語られてこなかったことをうかがう45分のインタビュー

剣菱酒造とはどんな老舗か

創業は何年か

公式サイトの「剣菱の歩み」は、永正2年(1505年)以前に稲寺屋(現在の剣菱酒造)が伊丹で創業したとしています。「以前」という書き方には根拠があります。嘉永2年(1849年)に刊行された『二千年袖鑒』に、当時すでに345年の歴史があったと記されているためで、1849年から345年を引くと1504年、すなわち永正元年にさかのぼります。ただし同じ文献に「剣菱」という銘柄名は登場せず、いつ誰がこの名を付けたのかは文献の上では明らかになっていない、と公式サイトは率直に書いています。

兵庫県神戸市の蔵ですが、創業の地は同じ兵庫県の伊丹でした。伊丹は江戸時代前期に「下り酒」の最上級ブランドを生んだ産地で、剣菱はその代表格でした。元禄10年(1697年)には稲寺屋治郎三郎が酒造株高で伊丹第一位になり、元文5年(1740年)には剣菱が八代将軍・徳川吉宗の御膳酒に指定されています。

五百年で五つの家に受け継がれた

剣菱の歴史の特徴は、銘柄が家から家へと渡りながら続いてきたことです。公式サイトは「五家にわたり変わらぬ剣菱を造り続けてまいりました」と記しています。公式の年表から所有者の変遷をたどると、次のようになります。

  • 稲寺屋(永正2年=1505年以前〜):伊丹で創業。寛保3年(1743年)、御膳酒指定の3年後に酒株を譲り渡して酒造から退く
  • 津国屋(坂上家)(寛保3年=1743年〜):当主・坂上桐蔭(勘三郎)が継承。仕込み水へのこだわりを示してラベルに「瀧水」の二文字を刻み、この文字は現在のラベルにも受け継がれている。明治5年(1872年)に酒造業から撤退
  • 稲野家(明治6年=1873年〜):稲野利三郎が継承。明治20年(1887年)に造石高3,743石で伊丹の酒造家首位、明治21年には伊丹酒造改良会社の総代に就任。明治34年(1901年)に廃業
  • 池上家(明治42年=1909年〜):池上茂兵衛が継承。造石高は1,393石にまで落ち込み、大正末には1,000石を下回る。昭和元年(1926年)に廃業
  • 白樫家(昭和3年=1928年〜):白樫政雄が剣菱のバトンを受け継ぐ。翌昭和4年に剣菱酒造を設立し、灘(住吉)で酒造りを始めた

伊丹の蔵が次々に姿を消していった背景には、明治の税制があります。明治11年(1878年)に造石税が導入され、明治34年には導入当初の約15倍まで引き上げられました。伊丹の酒造家は明治初期の40人から、明治42年には14人へと減っています。剣菱という銘柄は、その淘汰のなかで持ち主を替えながら生き延びてきました。

伊丹から灘へ、そして御影へ

白樫政雄が昭和4年(1929年)に酒造りを始めたのは、灘五郷のひとつ住吉の蔵でした。伊丹の酒から灘の酒へ——拠点は変わりましたが、伊丹で醸された酒を意味する「丹醸」の文字は、いまもラベルに受け継がれています。瀧水と丹醸、二つの家が残した文字が同じラベルに並んでいることになります。

その後の歩みは平坦ではありませんでした。昭和13年(1938年)の阪神大水害で蔵が浸水し、昭和18年(1943年)には政府の企業整備によって他の酒造会社3社と合併して甲南酒造となり、白樫政雄は約5年間、剣菱の商標を使えませんでした。昭和20年(1945年)には空襲で住吉の蔵が焼失します。昭和24年(1949年)に甲南酒造が解散し、現在の御影の地で剣菱酒造が復活、白樫政一が社長に就任しました。公式サイトの会社案内が設立を「昭和24年12月14日」とするのは、この再出発の日付です。

同じ昭和24年には、米不足を背景に醸造用アルコールと糖類で酒量を三倍に増やす三倍増醸法が本格導入されました。白樫政一はこの製造を拒み、桶1本分だけ造って桶ごと他社に譲り、剣菱の名では売りませんでした。結果として酒造米を削減される処罰を受けたと公式サイトは記しています。

平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災では、浜蔵を除く木造7蔵が倒壊しました。浜蔵に酒造りの機能を集めて製造を再開し、同じ年の末には中蔵と魚崎蔵を再建しています。灘五郷全体では、白壁の土蔵や赤煉瓦の酒蔵といった景観が大きく損なわれ、消費の低迷も重なって中小蔵元の廃業が相次ぎました。

当主は何代目か

動画のタイトルと概要欄は、白樫政孝氏を「剣菱酒造四代目 当主」と記しています。酒類専門媒体のインタビューも「4代目蔵元」としており、表記は一致しています。これは創業から数えた代数ではなく、五家目の所有者である白樫家としての代数です。公式サイトの年表は白樫政雄を初代、白樫政一を二代目と明記しており、平成6年(1994年)に白樫達也氏が、平成29年(2017年)に白樫政孝氏が社長に就任したと記されています。

白樫政孝氏は1977年生まれ。1999年に甲南大学を卒業して剣菱酒造に入社し、2017年に代表取締役社長となりました。酒蔵のイベントで約50蔵の酒を飲み比べたとき、剣菱だけが他と大きく違うと感じ、「売れていなくても味を変えないという決断は誰ができるのか」と考えて家業を継ぐ決意をしたと、インタビューで語っています。

受け継いできたもの:家訓「止まった時計でいろ」

剣菱の家訓は「止まった時計でいろ」です。流行を追わず、客が「美味しい」と言ってくれた味を守り続けるという意味で、白樫氏は流行の酒を造らない、革新は捨てると述べています。日本酒造組合中央会の蔵元紹介も、この家訓と「味を変えない覚悟」を剣菱の特徴として挙げています。

味を変えないための具体的な方法が、熟成させた原酒のブレンドです。江戸で売られる下り酒だった剣菱は、どんな料理と合わせられるか分からないことを前提に味を組み立てる必要がありました。そこで複数の原酒を合わせることで、年ごとの米の出来に左右されない安定性と、料理と合わせたときの幅を確保してきたと説明されています。現在も1人のブレンダーと4〜5人のチェッカーが、分析数値ではなく人の官能で判断しているとされます。

精米歩合をラベルに表示していないのも同じ理由です。公式サイトは、毎年の米の出来に合わせて精米歩合を変えているため表示していない、と明記しています。数値を固定して味が動くより、数値を動かして味を固定する、という考え方です。酒の色がやや黄色みを帯びるのも、米本来の味を大切にしているためで品質には影響しないとしています。

変えてきたこと:木工所と、日本で唯一の藁縄

一方で剣菱は、味に関わらない部分は合理化し、味に関わる部分を守るために新しい設備を作ってきました。象徴的なのが道具です。木製の酒造道具を作るメーカーが減ったため、平成29年(2017年)に浜蔵へ木工所を建設し、米を蒸す甑(こしき)や暖気樽(だきだる)、菰樽(こもだる)を自社で製作するようになりました。昭和52年(1977年)には、剣菱の酒樽・桶づくりの道具が兵庫県の有形民俗文化財に指定されています。

菰樽を巻く太い藁縄も作り手がいなくなったため、製作機械を入手して部品を作り直し、現在は日本で唯一の太い藁縄メーカーでもあるとインタビューで語られています。道具を守るために工場を建てるという判断は、家訓が示す「変えない」姿勢の裏側にある、きわめて能動的な投資です。

設備への投資は震災以前から続いてきました。公式の年表では、昭和47年(1972年)に浜蔵、昭和51年(1976年)に精米場を建設し、昭和53年(1978年)には販売量が16万石に達し、昭和56年(1981年)には酒造蔵が8蔵まで増えています。平成9年(1997年)に内蔵、平成11年に内蔵の貯蔵庫、平成14年に浜蔵の貯蔵庫を建設。平成20年(2008年)には黒松剣菱180mlがグッドデザイン賞、平成28年(2016年)にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受けています。令和2年(2020年)にはオンラインショップを開設しました。

灘五郷とはどんな土地か(動画の背景)

剣菱の蔵がある御影と魚崎は、灘五郷と呼ばれる酒造地の中心にあります。灘五郷は西郷・御影郷・魚崎郷(いずれも神戸市)と西宮郷・今津郷(西宮市)の総称で、酒造産地としての「灘」という呼び方は正徳6年(1716年)ごろから使われ始め、文政11年(1828年)ごろに五郷の枠組みが生まれました。現在の範囲は明治19年(1886年)に摂津灘酒造組合が設立された際に定まったものです。いまも日本酒の国内生産量の約4分の1を占め、京都・伏見、広島・西条とともに日本三大酒所に数えられます。

灘が酒造地として伸びた理由は、いくつもの条件が重なったことにあります。天保年間(1831〜1845年)に櫻正宗の山邑太左衛門が見つけたとされる宮水、原料米の集散地である大坂や兵庫が近いこと、冬に六甲おろしが吹いて寒造りに適した気候、六甲山系の急流を使った水車による精米、そして酒を江戸へ運ぶ港が目の前にあったこと。剣菱が伊丹から灘へ移ったのも、この地理の優位を考えれば自然な流れでした。

下り酒と新酒番船

江戸時代、上方で造られて江戸へ運ばれた酒を「下り酒」と呼びました。江戸の酒の入津量は元禄10年(1697年)に年間64万樽、文化文政期(1804〜1829年)には年間100万樽に達し、その7〜9割が摂泉十二郷すなわち伊丹や灘の周辺で造られた酒でした。輸送は当初、木綿や醤油と一緒に菱垣廻船で運ばれていましたが、酒は劣化が早く海難時の負担も造り酒屋側にあったため、享保15年(1730年)に酒問屋が十組問屋を脱退し、酒専用の樽廻船へ切り替わります。

その年の最初に江戸へ下る酒を積んだ船は「新酒番船」と呼ばれ、西宮の港から鉦や太鼓に送られて一斉に出航し、品川沖で伝馬船に乗り継いで新川の酒問屋への一番乗りを競いました。寛政2年(1790年)には58時間で到着した記録があります。一番乗りの酒は1年間高値で取引されました。剣菱が江戸で「酒価の高低を決める基準」とまで言われたのは、こうした流通の只中でのことです。

剣菱が江戸でどう扱われていたかは、残された記録から読み取れます。『江戸流行名酒番付』では「坂上」の名と剣菱のロゴが東の大関に据えられ、天保14年〜弘化3年(1843〜1846年)ごろの歌川広重『太平喜餅酒多多買』では剣菱が酒軍の大将として描かれました。嘉永6年(1853年)の喜田川守貞『守貞謾稿』には「古今第一トス」と記されています。文政10年(1827年)には漢詩人の頼山陽が『長古堂記』でロゴについて書き、質実であるから永続するという見方を示しました。江戸では「けんびる」という動詞まで生まれ、剣菱を飲むことを指したと伝えられます。

なお、江戸で剣菱などの下り酒を受けていた新川の酒問屋の系譜については、豊島屋本店(東京・神田/金婚)の記事でも触れています。

ロゴの由来

剣菱のロゴには二つの説が伝えられています。ひとつは天と地、陰と陽の結合を表し、上が男性、下が女性を象徴するという説。もうひとつは、津国屋の時代に仕込み水の井戸替えをした際、井戸の底から不動明王像が見つかり、当主の坂上桐蔭が不動明王の右手が持つ降魔の剣(倶利伽羅剣)の刀身と鍔を模してラベルを作ったという説です。頼山陽が記したとおり、このロゴは昔から変えられていません。

何が名物か

公式サイトの「商品のご案内」には、剣菱、黒松剣菱、極上黒松剣菱、瑞穂黒松剣菱、瑞祥黒松剣菱が並んでいます。中心となる「剣菱」は辛みと旨みのバランスがとれたやわらかな味わいで、燗にすると旨みが引き立ちキレの良さも際立つとされ、冷やから燗まで幅広く楽しめると説明されています。容量は1.8L瓶・900ml瓶・300ml瓶に加えて、4斗樽と2斗樽の樽酒があります。

「黒松剣菱」は米の濃醇な味わいで、旨み・酸味・辛みが調和した酒、「極上黒松剣菱」は力強い旨みと甘辛の調和が特徴とされます。前述のとおり、いずれも精米歩合はラベルに表示されていません。日本酒の級別制度が撤廃されたのは平成4年(1992年)ですが、公式サイトは剣菱が二級酒を製造・販売したことはないと記しています。

醸造は寒造りで、晩秋に仕込みを始め、春から秋にかけて熟成させます。製造は本社(神戸市東灘区御影本町)のほか、浜蔵兼瓶詰工場と精米場(深江浜町)、中蔵と魚崎蔵(魚崎南町)で行われ、会社案内によれば社員数53人(2024年10月現在)、蔵人は約50人(うち社員蔵人8人)。要となる麹づくりは蔵人の手仕事だとされています。

買う・訪ねる

剣菱酒造は、蔵での酒の販売と蔵の見学を行っていません。会社案内にその旨が明記されています。酒を買うなら、公式のオンラインショップか酒販店が窓口になります。

  • 公式サイト:剣菱酒造株式会社(会社案内・剣菱の歩み・商品のご案内)
  • 公式オンラインショップ:剣菱オンラインショップ(令和2年=2020年開設)
  • 本社:兵庫県神戸市東灘区御影本町3-12-5 / お問合せ 078-451-2501(公式サイト会社案内の記載)
  • 製造拠点:浜蔵兼瓶詰工場・精米場(神戸市東灘区深江浜町)、中蔵・魚崎蔵(神戸市東灘区魚崎南町)
  • エリアページ:兵庫県の老舗

※電話番号については、日本酒造組合中央会の蔵元ページが078-811-0131と記載しており、公式サイトの会社案内に載る078-451-2501と異なります。本記事は公式サイトの記載を採りました。お問い合わせの際は公式サイトでご確認ください。(2026年10月11日確認)

剣菱酒造は老舗通販.netには出店していません(2026年10月11日時点の全244コレクションを確認)。ただし老舗通販.netには「老舗のお酒」という特集があり、三代百年を越えて続く全国の蔵元の酒が並んでいます。剣菱の品は含まれませんが、同じように長く続いてきた蔵の酒を探す入口になります。agatajapan.com では千古乃岩酒造(岐阜・土岐)や松井酒造(京都・左京区)のご当主インタビューも記事にしています。

老舗フェスティバル2026 by agataJapan

2026年10月3日、東京・日本橋で「老舗フェスティバル2026 by agataJapan」を開催しました。全国の老舗が一堂に集まり、三井本館見学会や老舗・ご当地セミナーをはじめとする企画に多くの方がお越しくださいました。ご来場いただいた皆さま、ご出展いただいた老舗の皆さまに、あらためて御礼を申し上げます。

剣菱酒造は2026年のフェスティバルには出展していませんが、灘五郷で五百年続く酒造りは、まさにこのイベントが伝えようとしてきた「三代百年を越えて受け継がれてきたもの」そのものです。当日の様子や御礼は、以下のページからご覧いただけます。

100年続く老舗の品を、お取り寄せで

「老舗通販.net」は、3代100年以上続く老舗だけが参加する通販サイトです。2010年の開設以来、全国の老舗の品を扱ってきました。遠方でお店に足を運べない方も、ここから取り寄せられます。

老舗通販.net で老舗の品を探す

動画で見る日本の老舗

この動画は、agataJapanがCIC Tokyoから配信してきたインタビュー番組「伝統はイノベーションの連続である」の一本です。三代百年を越えて続いてきた老舗のご当主に、受け継いできたものと変えてきたことを、45分かけてうかがっています。

YouTubeチャンネル「日本の老舗」では、全国の老舗のご当主インタビューを公開しています。agatajapan.com では、このシリーズの記事を 動画で見る日本の老舗 にまとめています。

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