浅草の国際通り沿いに店を構え、店頭には太鼓をずらりと並べている「岡田屋布施」。天保6年(1835年)に創業し、188年もの歴史を持ちます。そのはじまりは道具屋。やがて能楽の鼓や太鼓の商いをスタートさせ、現在では祭礼の太鼓や歌舞伎の鳴物、仏壇、仏具なども取り扱っています。そんな岡田屋布施の七代目ご当主、布施義浩さんにお話を伺います。
〜前編の記事〜
伝統楽器はオーダーメイドでも作れるということですが、やはりオーダーメイドをなさる方というのは、こういう音色がとか、こういう皮がとか、張り方もパンパンに張ってくれとか注文されるんでしょうか。
そうですね。大抵そういったご注文です。特別にこういう音で、というご注文をいただいたり、胴から選んでいただいたりしております。
今まで「これはすごい手がかかった太鼓に仕上がったな」とか、「これは素晴らしく、面白いオーダーだったな」みたいなのは、何かありますか。
日本には失われてしまった伝統芸能があるのですが、そこで使われていた楽器を復元するという作業がたまにあります。例えば新潟市の角兵衛獅子(かくべいじし)という獅子舞なのですが、子どもたちが軽業(かるわざ)といって、お正月や何かの行事にサーカスのようなことをする、獅子舞があるそうです。昔そういう行事があったのですね。その時舞われたのが角兵衛獅子です。そのときに使われていた太鼓を復元するという仕事をしたりしました。
ただその太鼓っていうのが特に昔の古いものだったので、それを分解するっていう行為自体が、なかなか難しかったです。外観と、かかっている紐の材質や、当時の新品だった状態を推測しながらやります。ただ、現在使われてないもので縫われていたりしています。締太鼓だったのですが、ちょっと今ではやらないやり方で締めていたんですね。そういった材料を手に入れて、復元する。
あと最近やった仕事ですと、恐山にいるイタコさんが降霊の儀式に使う弓、梓弓(あずさゆみ)を復元しました。その梓弓というのは非常に古いものらしいのです。すでに無くなってしまった楽器を復元するという、すごく面白い仕事をしました。
見本がまだあるうちだと、まだいいんですけれどね。
資料や文書で残っているものから推測してやりましたね。
では、次の写真をお願いします。
こちらは、太鼓を張っている作業場の風景です。
ものすごく大きな太鼓ですね。
そうですね。すごく大きい太鼓です。通常、ここまで大きい太鼓は張ることがないので、写真に残してあります。こちらは府中市にある大國魂(おおくにたま)神社で使われている大太鼓です。祭礼のときに叩きます。
次の写真はなにをしているところでしょうか?
これも太鼓の張り方といいますか、紐で皮の部分に縄をかけ、そこから皮を引いて張っていくというやり方です。それを写真で順番に見ていていただきます。次が、その張ったロープに、太い孟宗竹をよじって張っていきます。
テンションを高めていくんですね。
そうです。それでねじっていく。作り方は昔からずっと同じなので、こういった作り方は変えずにやっていっています。
太鼓制作におけるイノベーションとは?
やはりこの昔ながらのことを今もやり続けているということに、一つ大きい価値があるということですね。
イノベーションも若干ありますね。下にちょっと赤い部分が見えますが、本来であれば、そこは三角形の楔を打ち込んで、太鼓そのものを持ち上げるのですが、今はジャッキアップを使っています。
なるほど。そういうところは、使えるものは使おうと。
そうですね。使った方がいいです。昔は板の隙間に三角形の木を差し込んで、木づちでガンガン打ち込み、それで持ち上げていくというやり方でした。でも効率が悪く、そこまでギュッと締められないので、ジャッキアップを使っています。
これは合理的ですね。これは素晴らしいイノベーションです。
あまりにも細かいイノベーションが多いので、自分は気がついていないですね。
次は何をしているところですか?
これは締めた紐から皮を延ばすために、その部分に木づちを打ち込んでいます。それによって皮を張っていきます。こういう作業工程をしながら作っていくというわけです。
はい。そして、次の写真ですね。
太鼓の音が決まったときに、鋲を打っていきます。
こうなると何となく見慣れたような太鼓になりますね。
そうですね、鋲が撃ち込まれるとこういう形になります。
そして、せっかく鋲が撃ち込まれたのに次のこの写真は?
すみません、これは順序が前後してしまいましたが、これは鋲を打つ前に、太鼓の上に人が乗っています。
そうなんですね。
はい。この上に乗っている2人は、体重80キロ以上、実際は90キロ近くありますが、皮の上に乗り、しっかり伸ばした後にまたさらに張っていくという作業を何度か繰り返して、最終的に鋲打ちを行います。
そういうことですね。皆さん、遊んでいるわけじゃないんですね(笑)。やっぱり刀も同じですけれども、冷やして熱して、叩いてという。同じような感じですかね。
そうですね、皮なので、この作業がないと簡単にゆるみやすくなってしまって、本当の響きが出てこないですね。
こうしてまんべんなくやることで、より良い製品が出来上がるというわけですね。
これはお神輿の写真です。このお神輿は、三社型(さんじゃがた)というお神輿で、三社祭だけで担がれているお神輿の形です。何が違うかというと、屋根の下からグルッと巻いてる腕みたいな部分を「蕨手(わらびで)」と言いますが、あれが下から出てくる形です。
これが三社型の特徴ですね。
そうです。これは弊社で作らせていただいたお神輿です。
ありがとうございます。ここまで、岡田屋布施さんがなにを大事にされているのか伺ってきましたが、布施さんご自身はどういうふうに育ってこられましたか。
偉大な祖父がいまして、とても怖い人でした。その祖父に全て教えていただきました。私の仕事のスタートは、職人です。太鼓制作の修行から始めました。祖父は職人気質なので、作る仕事を祖父から教えていただきました。
それはもう小さい頃からっていう感じですか。
そうですね、小さい頃はそんなに「仕事を継げ」とは言われてなかったので、何となくうっすらとそういうような気持ちで育っておりました。ただ姉がいたのですが、姉も継ぎたかったのではないかと思います。ちょっと姉には申し訳なかった気もします。
そうなのですね。学生時代に何となく継ぐのかなと思っていて、社会人になられてすぐ岡田屋布施さんに入られたそうですね。
大学受験したのですが、1回失敗しまして、浪人するかどうかっていうところで、自分にちょっと問いかけたんですけど、勉強が嫌いだという答えが返ってきました。しかも、働いたらお金が入るんだと、ちょっと邪念もありました。本当にそういったシンプルな理由で仕事を始めたわけです。それが高校を出てすぐです。そこから職人修行を始めました。
では最後にこれからの展望などを聞かせてください。
今、こういったコロナ禍の中で、やっぱりリモートでもいろいろできなければいけないんじゃないかと何となく思っております。でもなかなか難しいと思いながら、ちょっとそういったことも課題として考えております。
失われてしまった伝統楽器の復旧にも携わっている「岡田屋布施」。限られた資料を元にする作業には相当な苦労があることでしょう。しかしながら、岡田屋布施が決して諦めないのは、日本の伝統を守るため。これからも伝統楽器を残すべく、岡田屋布施はその手を緩めません。
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