東京・日本橋人形町の甘酒横丁に店を構える「人形町志乃多寿司總本店」。創業は1877年(明治10年)、明治維新で武士の職を失った初代が、好物だったいなり寿司を売り歩いたことに始まります。五代目当主の吉益敬容さんが、看板のいなり寿司「志乃多」の味を守るために製法を変え続けてきた話、そして放送業界から家業に戻って最初に取り組んだ「事業の整理」について語っています。
動画はYouTubeチャンネル「日本の老舗」のご当主インタビュー番組「伝統はイノベーションの連続である」(CICライブ)の一本で、2022年5月19日に公開されました。
動画の見どころ
この回には章立てのタイムスタンプが付いていないため、話題の並びを目次として整理しました。
- 1877年(明治10年)創業。明治維新で武士という職業がなくなり失業した初代が、好物だったいなり寿司を屋台で売り歩いたのが始まり
- 店名「志乃多」の由来は、歌舞伎『葛の葉子別れ』の舞台である「信太(しのだ)の森」。狐、油揚げ、いなり寿司という連想から名づけられた
- 初代は新し物好きで、電話と自転車が普及するとすぐに取り入れ、明治40年ごろから今でいうデリバリーを始めていた
- 戦前の品書きはいなり寿司とかんぴょう巻きだけ。品数が増えたのは戦後から
- 三代目は高度成長期に事業を大きく拡大し、昭和40年代には30店舗以上を数えた
- 五代目は28歳で放送業界から家業へ。大阪・広島・長野の店を畳み、目の届く範囲でやると決めた。売上は10分の1になったが利益はほとんど変わらなかった
- 「志乃多の味を変えないために、レシピを変えている」という考え方
- いなり寿司とかんぴょう巻き以外は社員に任せる。季節商品の社内公募という仕組み
人形町志乃多寿司總本店とは — 創業は何年で、いま何代目か
創業は1877年(明治10年)。現在の当主は五代目の吉益敬容さんです。創業年は、agataJapanの人形町志乃多寿司總本店の老舗ページ、中央区観光協会の店舗情報、そして動画のなかでの当主自身の説明(「志乃多寿司は1877年に創業しました」)が一致しています(2026年10月4日確認)。
店は持ち帰り専門の寿司店で、中央区観光協会は「大阪寿司の専門店」と紹介しています。店先のショーケースには、いなり寿司、のり巻、押し寿司、茶巾寿司などの折り詰めが並びます。のれん分けした店が3系統あり、それぞれ独自に経営しています。
沿革 — 明治の屋台から、デリバリーと冷凍通販へ
初代は屋台売りから始めました。明治後期には、当時まだ珍しかった配達を開始。店の暖簾に3桁の電話番号を大きく書き、電話で注文を受けて自転車で届けていた記録が残っています。戦後は焼失した店を建て直し、伝統のいなり寿司に加えて品数を広げました。
三代目の代に事業は大きく広がり、昭和40年代には30店舗以上。押し寿司や茶巾寿司が加わり、人形町本店の1階が江戸前寿司、2階が日本料理の店だった時期もありました。五代目はその拡大を4〜5年かけて整理し、店舗販売と配達という元々の形に戻しました。
その後は初代が始めた配達を強化し、自社サイトでの注文を整備。15年ほど前から真空パックの通販を始め、冷凍技術の進歩を待って2022年2月に冷凍いなり寿司とばらちらし寿司の通販を始めています。
いなり寿司と人形町 — 業種と地域の背景
いなり寿司の名は、稲荷神の神使である狐の好物が油揚げだという言い伝えに由来します。稲荷神はもともと狐ではありませんが、江戸時代の俗信のなかで同化しました。最も古い史料は江戸時代末期の『守貞謾稿』で、1852年の『近世商売尽狂歌合』には細長いいなり寿司を切り売りする屋台が描かれており、江戸期にはすでに庶民の食べ物として広まっていたことがわかります(2026年10月4日、Wikipedia「稲荷寿司」で確認)。
形と中身には東西の違いがあります。関東は米俵をかたどった俵型で、中身は酢飯だけ。関西は油揚げを対角線に切った三角形で、椎茸や人参、胡麻などを混ぜた「五目稲荷」にするのが通常です。
店名の「志乃多」が指す信太の森は、葛の葉という白狐が人の姿で嫁ぎ、正体が知られて子と別れる伝説の舞台です。この物語を題材にした歌舞伎・浄瑠璃の『葛の葉子別れ』から、狐、油揚げ、いなり寿司とつながって屋号になりました。
店のある人形町は、江戸時代に歌舞伎小屋の中村座と市村座があり、薩摩浄瑠璃や人形芝居も行われた土地です。人形遣いが多く住んだことから人形町と名づけられたとされています。芝居小屋は1841年の火災のあと天保の改革で浅草猿若町へ移されましたが、その後も寄席や劇場が残りました。五代目は動画のなかで「もともと人形町は芝居小屋や寄席がたくさんあった街」で、観劇の前にいなり寿司を食べていく人が多かったと語っています。店の先には今も明治座があり、観劇帰りに土産を買う客が多いといいます(2026年10月4日、Wikipedia「日本橋人形町」および老舗ページで確認)。
名物と商品 — 何が看板か
看板は創業当時から味を守るいなり寿司「志乃多」です。中央区観光協会によれば、手作業にこだわり3日かけて製造しています。
- いなり寿司「志乃多」:甘辛く濃い味つけに合わせ、油揚げは薄めのものを特注。仕入れ先が廃業した際は、同じ薄さの油揚げをつくる会社を全国で探した
- かんぴょう巻き:三代目の代から加わった品。程よい甘さとしっかりした歯ごたえ
- のり巻志乃多:いなり寿司とかんぴょう巻きを同時に味わえる人気の折り詰め。酢と塩だけで味つけした塩気の強いガリが、甘いおいなりさんと合う
- 押し寿司・茶巾寿司:三代目の代に加わった大阪寿司の品
- 通販の品:味付きの「いなりあげ」、「煮かんぴょう」、「ちらし寿司の素」など真空パックの商品と、2022年2月に始まった冷凍いなり寿司・ばらちらし寿司
五代目は「いなり寿司とかんぴょう巻きの味わいについては、僕もいじらないというスタンス」と語る一方、それ以外は社員の提案を広く採り入れています。季節商品は社内公募で決め、採用されたら金一封という仕組み。SNSの発信も若手社員が担っているそうです。
買う・訪ねる
本店は東京都中央区日本橋人形町2-10-10、電話は03-5614-9300。営業時間は9:00〜19:00、定休日は年中無休です(2026年10月4日、公式サイトの本店所在地ページで確認)。
- 公式サイト:人形町志乃多寿司總本店
- 老舗通販.net の商品ページ:人形町志乃多寿司總本店(志乃多のいなりあげ、志乃多の煮かんぴょう、ちらし寿司の素)
- agataJapan の老舗紹介:人形町志乃多寿司總本店
- 五代目インタビュー(記事版):明治10年創業、いなり寿司の名店「人形町志乃多寿司總本店」。長く愛され続ける味の秘密/時代に合わせて変えるもの、そして絶対に変えないもの
- 同じ日本橋の食の老舗:山本海苔店(日本橋・味付け海苔)
- 同じ中央区の老舗:梅花亭(中央区・どら焼き)
- エリアから探す:東京都の老舗
老舗フェスティバル2026は10月3日に開催されました
agataJapanが主催する「老舗フェスティバル2026」は、2026年10月3日(土)10:00〜18:00、東京・日本橋の福徳の森と仲通り周辺(東京都中央区日本橋室町2-5-10)で開催されました。全国の老舗と「ご当地」の生産者が集まり、奉納能や老舗サミット、名店コラボなどの企画が並びました。
2026年の開催は終了しています。当日の出展者や企画の詳細、次回の開催情報は老舗フェスティバル2026の特設ページでご覧いただけます。
100年続く老舗の品を、お取り寄せで
「老舗通販.net」は、3代100年以上続く老舗だけが参加する通販サイトです。2010年の開設以来、全国の老舗の品を扱ってきました。遠方でお店に足を運べない方も、ここから取り寄せられます。
老舗通販.net で老舗の品を探す(人形町志乃多寿司總本店の商品ページ)
動画で見る日本の老舗
この回は、YouTubeチャンネル「日本の老舗」およびagataJapanが配信するご当主インタビュー番組「伝統はイノベーションの連続である」(CICライブ)の一本です。3代100年続いてきた老舗に、伝統と革新、家訓など普段あまり語られてこなかったことを聞く構成になっています。
ほかの老舗の回は、連載「動画で見る日本の老舗」の一覧からご覧いただけます。
老舗の魅力を伝えるご相談
スターマークは、老舗や地域の事業者のブランディング・プロモーションを手がけています。動画や記事を使った情報発信、EC、イベント出展のご相談は、スターマークのお問合せフォームからお寄せください。







