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玉鳳堂|創業1895年、茶道具の目利きを四代目当主が語る【動画】

茶席に客が入ってくる。手にした茶碗と棗(なつめ)を見て、それが何かを即座に見抜けなければならない——これが玉鳳堂(ぎょくほうどう)の家訓「目利きになれ」の中身です。明治28年(1895年)に日本橋仲通りで創業し、現在は南青山の骨董通りで表千家の茶道具を扱う老舗。雲州松平家との縁、関東大震災で焼けた店を立て直した一つの香合、そして「100点見て仕入れるのは5点」という仕事の基準を、四代目当主・山田高久さんが語ります。

玉鳳堂 四代目 当主 山田高久氏(CICライブ/YouTubeチャンネル「日本の老舗」)/再生時間:30分31秒/公開:2022年4月21日

動画の見どころ

この回は章立て(チャプター)が設定されていないため、話題の並びを目次の形に整理しました。

  • 名古屋から出てきた曽祖父が、日本橋で起業するまで
  • 雲州松平家の松平直亮伯に抹茶を出したという出会い
  • 関東大震災で全焼したあと、再出発の元手になった備前伽藍香合
  • 高橋箒庵との本づくりと、茶器『走井』
  • 「入ってきたとき、すぐにその茶碗がなにかわからないとダメだぞ」——祖父の教え
  • 100点のうち仕入れるのは5点という基準
  • 茶をする人が減るなかで、入り口をどうつくるか

玉鳳堂の創業は何年か

創業は明治28年(1895年)です。四代目の山田高久さんは「明治28年、私の曽祖父が名古屋から出てきて日本橋の仲通りで起業したのが玉鳳堂のはじまりです」と語っています(agataJapan連載「『目利きになれ』が家訓。」・2026年10月8日確認)。

この創業年の典拠は、現在のところ同店自身の説明に拠っています。登記や郷土資料による独立した裏づけは確認できませんでした。一方で、業界団体である東京美術商協同組合の組合員名簿には「店名:玉鳳堂/代表者名:山田 高久」「取扱品目:茶道具・日本画」として現住所・現電話番号で掲載が続いており、現役の道具商であることは確かめられます(2026年10月8日確認)。

当代は四代目当主・山田高久さん。なお法人格(株式会社・有限会社など)は確認できなかったため、本記事では屋号「玉鳳堂」として記します。

一つの香合から立て直した店

玉鳳堂の歴史で決定的なのは、雲州松平家との縁です。

日本橋で店を開いた初代のもとに、雲州松平家の当主松平直亮伯が訪れます。抹茶を出したところ大変気に入られ、松平家に出入りすることになった——これが始まりでした。四代目は「江戸時代からとてもいい茶道具をお持ちの松平家ですが、なかなか一般人はお目にかかれない方で、曽祖父も一生懸命アプローチしたのだと思います」と振り返っています。

ところが大正12年(1923年)の関東大震災で、店は一度全焼します。茶道具は鉄瓶などを除けば燃えてしまう商品です。直亮伯に「どうするんだ」と尋ねられ、「このまま仕事をつづけさせていただきたい」と答えたところ、これを元手に頑張りなさいと、備前伽藍香合を譲り受けたといいます。その香合には直亮伯の花押(かおう)が描かれている。焼け跡から店を立て直す元手が、一つの香合だったという話です。

その後、大正から昭和にかけて、近代の茶道具研究家・コレクターの第一人者高橋箒庵(たかはしそうあん)と約10冊の本をつくります。「大震災もあったので何か残しておこう」という動機でした。松平家から譲り受けた茶器『走井』もその本に掲載され、箒庵からは礼として茶杓(箱に「昭和4年 初夏」と自筆)が贈られています。

補足しておくと、高橋義雄(箒庵/1861〜1937年)は『大正名器鑑』全9編(1921〜1927年)の編者として知られる近代数寄者です。刊行の時期と冊数は、四代目の語る「約10冊の本」と符合します。ただし玉鳳堂が編纂に関わった事実そのものを第三者資料で裏づけることはできませんでした(2026年10月8日確認)。なお四代目は、根津美術館で開かれた『大正名器鑑』所載品の展覧会にこの茶杓を出品したとも述べています。

「目利き」とは何を見ることか

家訓の由来は、四代目が高校生のときの祖父との会話です。「この仕事に何が大事なの?」と聞いたところ、こう返ってきたといいます。

茶道では、まず茶碗と抹茶を入れる棗をもって席に入る。「入ってきたとき、すぐにその茶碗がなにかわからないとダメだぞ」。当時は「わかるかな」と思ったそうですが、祖父は「段々と年を重ねると究極は目が利くようになるよ」と続けたそうです。

この基準は、仕入れの数字にそのまま表れます。四代目によれば、100点を目にして基準にかなうのは5点ほど。「5つあるときもあればない時もあります。逆に、希望に叶えば10個でも20個でも仕入れます」。普通なら1〜2分眺めて終わるところを、角度を変え、どこが良いか悪いか、細かい傷まで見て2〜3分、ときには10分かける。「まとめると『目利きになれ』ということじゃないでしょうか。直接言われたわけではありませんが、結果的にはそういうことですね」。

ここは道具商という商売の核心に触れています。「名物」とは、表千家不審菴の説明によれば「古来有名な物として、また銘を付けて愛玩されてきた器物」であり、「その道具自体の価値はもとより、所持者や伝来によって、別格のものとして分類するために呼ばれた言葉」です。所持者による呼称として「雲州名物」(出雲藩松平家)という分類語が実際に存在します(表千家不審菴・2026年10月8日確認)。玉鳳堂と雲州松平家の縁は、この体系のなかに位置しています。

その「雲州名物」をつくったのが松平不昧(治郷)です。出雲松江の城主で、藩政改革で財政を立て直した余力をもって茶器を大規模に蒐集し、約800点に及ぶ「雲州蔵帳」の道具を集め、『古今名物類聚』18冊を著しました。「この不昧の茶の湯は、近代にあって財界人たちの数寄者に大きな影響を与えました」とされます(表千家不審菴・2026年10月8日確認)。

二代目は税に働きかけ、三代目は南青山に出た

代ごとの動き方が、はっきり違うのもこの店の面白さです。

二代目(四代目の祖父)は東京美術倶楽部の社長を一時務め、戦後の好景気のなかで「今でいう消費税にあたる物品税を美術品にはかけないよう働きかけた」と語り継がれています。さらに昭和39年(1964年)、東京オリンピックで来日する外国人に向けて東京美術倶楽部が開いた日本美術の展覧会で実行委員長を務めました。四代目が見せた写真には、三笠宮殿下ご夫妻と、当時のIOC会長で美術品コレクターでもあったアベリー・ブランデージ氏、そしてその間に立つ二代目が写っています。「ここから日本の芸術を発信したいという気持ちがあったんじゃないかと」。

三代目は店を南青山の骨董通りへ移します。開店のときに表千家の先々代御家元即中斎宗匠からいただいた「清栄」の額を、その後「何があってもこれだけは掛けていました」。扱う道具も、表千家をはじめ街の茶の先生方のものが多くなっていきます。即中斎(表千家13代/1901〜1979年、1937年家元継承)の在位は、この話と時期が符合します。

なお昭和30年ごろ、即中斎宗左と二代目が発足させた「東京不審庵茶会」の世話役を、玉鳳堂は現在も務めています(agataJapan老舗ページ・2026年10月8日確認)。

南青山が骨董の街になった理由

三代目が店を構えた骨董通りには、できた理由があります。

南青山5〜6丁目に骨董店が集まり始めたのは1950年代半ばで、主因は根津美術館でした。東武鉄道社長を務めた実業家・初代根津嘉一郎の古美術コレクションを保存展示するため、昭和16年(1941年)に根津家の私邸があった場所で開館。嘉一郎は晩年「青山」と号して茶の湯を楽しみ、茶の道具がコレクションの重要な柱になっています。1945年の空襲で建物を焼失し、1954年に新しい展示棟が竣工——この再建の頃から、同館を訪れる茶人や趣味人を相手に器や茶道具、掛け軸を扱う店が増えていきました(根津美術館、シブヤ経済新聞・2026年10月8日確認)。

「骨董通り」という名前そのものは、1980年代初めに骨董商・エッセイストの中島誠之助氏が、青山5丁目交差点から六本木通り高樹町交差点までを指して命名したものです。それ以前は高樹町通りと呼ばれていました(シブヤ経済新聞・2026年10月8日確認)。玉鳳堂の所在地は南青山6丁目で、根津美術館(南青山6-5-1)と同じ丁。三代目が店を開いたのは、美術館を核に骨董店が集まっていく流れのなかでのことでした。

四代目は何を変えようとしているか

四代目の山田高久さんは、神田の日本画商「丸栄堂」で修行しました。祖父や父が同社と懇意だった縁で、5年の予定だったものが父の体調不良で4年弱で家に戻り、店を継ぎます。茶道具以外の近代日本画にも触れたことで審美眼を磨いたとされ、茶道家からも厚い信頼を得ています(agataJapan老舗ページ・2026年10月8日確認)。

方針は「茶道具に限らず、自分がいいなと思うものを扱えれば」。そしてもう一つが、茶をする人を増やすことです。ネットでの販売にも前向きですが、条件をつけています。「その前にまず一度現物を見ていただきたい」「手に取っていただくと手に取った重さだとか見た目以外にわかる味わいがあります。2つ目以降はECサイトでもよいと思うんですが、最初はぜひ手にとって買っていただきたいですね」。

屋号の由来については、四代目自身も「お客様によると『どこからかいただいた名前だよ』ということなのですが、現在確認中です。資料を探しているんですが、何しろ一度関東大震災で店が焼けてしまったものですから」と語っています。震災で記録ごと失われたものの大きさが、ここにも出ています。

店を訪ねる

※住所・電話は東京美術商協同組合の組合員名簿とagataJapanの老舗ページによります(2026年10月8日確認)。営業時間と定休日は、到達できたどの資料にも記載がなく確認できませんでした。また玉鳳堂は独立した公式サイトを持たないようで、確認できませんでした。ご来店の際は必ず事前に電話でご確認ください。なお、ビル名を「骨董通りビル402号」と記載する資料もありますが、番地と部屋番号が一致するため同一の物件です。

玉鳳堂は老舗通販.netには出店していません(2026年10月8日確認)。四代目ご本人が「最初はぜひ手にとって買っていただきたい」と語る商いなので、まずは店頭でご相談するのが筋の通った道具の買い方だと思います。

また、名前の似た別の会社(お茶の販売業者など)の倒産記事が検索結果に混ざることがありますが、南青山の茶道具商・玉鳳堂とは無関係です。

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