【第8回】江戸時代から語られるぶっかけの由来と食べ方指南

芝大門 更科布屋 店主の独り言更科そば蕎麦

「天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

江戸時代に生まれた「ぶっかけ」の由来

「ぶっかけ」は現在では蕎麦屋のメニューには姿を見せなくなりましたが、「冷やかけ」とか「冷やしたぬき」の原型となるものであります。江戸時代には、深くて小さい丼か、浅いくて大きい「大平椀」に蕎麦が盛られ、その上から「もり」と同じ汁が「ぶっかけ」られておりました。

「蕎麦全書」によれば、ぶっかけが初めて江戸に現われたのは、「ぶっかけそば始まりの事」と題しての以下の記述が始まりです。

「新材木町に信濃屋という蕎麦屋がありこれが元祖であるとされております。
最初は手抜きのためにこしらえ始めたものであるようです。この辺は車引きや荷運び人足が大勢集まり、たむろする場所で、このぶっかけそばを作りだしたのは、立ちながら食べるのに便利なようにしたたためであったそうです。
本来は大変下品な代物であったがその後蕎麦や汁を温めて出すことを発明し、寒さが厳しい季節とか、風邪気味の時に食べると身体が温まるし、蕎麦を盛ったお椀の他には別の汁注ぎも茶碗もいらないので、簡便であるところから蕎麦好きにも受け入れられ次第に盛んになった」と書かれております。

江戸時代の蕎麦の食べ方とは

「蕎麦全書」にはさらに色々な蕎麦屋が取り上げられており、いつ頃なにをしたかが書いてあるのですが、この「新材木町信濃屋」は記載されていないので、いつ頃のことかはわかりません。

しかし、元禄五年(1692年)の「女重宝記」という本に、女のたしなみとして「素麺喰う事、汁を置きながら一箸、二箸を素麺の椀よりすくい入れてから、汁を取り上げて喰うべし。蕎麦切りなど、男のように汁をかけて喰う事あるべからず」とありますから、男性は、猪口に蕎麦を先に入れ、その後から汁をぶっかけて食べる方法には気付いていたようです。

そのうち「ぶっかけ」が普及して、「もり」より定番になり「けんどん屋(安売り蕎麦屋)」などの主流になると、ご婦人でもぶっかけを食べざるを得なくなりますが、行儀作法の指導者達はぶっかけを食べるのであれば、「皿を床に置き、口を近づけて食べよ」と教えます。

男性でも、文化人はドンブリを手で持ち上げてかっこむなどと言うことはしてはならず、もっと昔の「今川大双紙」(1400年)では、「人前で麺を食べる時」背中をまっすぐに伸ばし、麺を入れた汁入れを持ち上げて、背筋にそって食べるようにせよ。団子を食べる場合は、背中を丸めて皿を口に近づけて食べよ。

と言うことになっており、江戸時代では、しきたりと威厳から武士は原則としてもりを食べることになっておりました。「ぶっかけ」という言葉は、蕎麦に限ったことではないにせよ、蕎麦を元祖にして普及していったようです。

この記事を書いたのは…

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。
更科布屋ホームページ

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