2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で一躍知られるようになった出版人、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その蔦重が江戸のメディア王として活躍した約50年間は、じつは日本の食文化が大きく姿を変えた時期でもありました。上方(かみがた)の味が中心だった江戸の食卓に、どのようにして醤油が入り、寿司・蕎麦・天ぷら・鰻という「江戸前」の名物が生まれたのか。
2025年10月11日、老舗フェスティバル2025の「老舗・ご当地セミナー」で、時代小説家で江戸料理文化研究所代表の車浮代(くるま うきよ)氏が、この50年を食の側から読み解きました。34分の講演を動画で公開しています。大河ドラマの背景にある江戸の食の激変期と、蔦重の死因とされる「江戸わずらい」の正体まで、通して聴ける回です。
「蔦屋重三郎の頃の江戸の食文化/時代小説家 車浮代氏/老舗・ご当地セミナー/老舗フェスティバル 2025 by agataJapan」(34分20秒・2025年11月27日公開)
動画の見どころ
動画の概要欄に章立てが示されているので、そのまま目次として掲げます。
- 01:19 蔦屋重三郎の時代と「濃口醤油」の誕生
- 03:39 江戸初期の調味料「煎り酒(いりざけ)」とは
- 08:21 明暦の大火がきっかけ?「1日3食」の定着
- 11:53 醤油が変えた──鰻・天ぷら・蕎麦・寿司
- 16:38 蔦屋重三郎の出版戦略と吉原ガイドブック
- 20:14 寿司の歴史を変えた「時短」革命と赤酢の発明
- 27:10 江戸のレシピ本ブーム『豆腐百珍』
- 28:21 蔦屋重三郎の死因「脚気(江戸わずらい)」と食生活
この講演はどこで行われたのか
老舗フェスティバル2025の催しのひとつ「老舗・ご当地セミナー」の一席です。開催日は2025年10月11日(土)、会場は野村コンファレンスプラザ日本橋6階 大ホール。江戸の出版と食が重なり合った土地である日本橋で、その江戸の食文化を聴くという組み立てになっています。
登壇は車浮代氏(時代小説家/江戸料理文化研究所 代表)。公式サイトでも肩書きは「時代小説家、江戸料理文化研究所代表」と記されています。蔦屋重三郎を主人公にした小説『蔦重の教え』(双葉社・双葉文庫、2021年)や『江戸っ子の食養生』(ワニブックス)などの著書があり、江戸料理の研究・再現と、江戸文化についての講演を重ねてきた方です。江戸風のレンタルキッチンスタジオ「うきよの台所」も主宰しています。
濃口醤油はいつ、なぜ生まれたのか
講演が最初に置くのは醤油です。江戸は当初、上方から船で下ってくる「下り醤油(くだりじょうゆ)」に頼っていました。色の淡い薄口で、高級品でした。ところが江戸の人口が膨らむにつれて、高価な下り醤油では間に合わなくなります。そこで関東で安く造れる「関東地廻り(じまわり)醤油」が考案されました。これが現在の濃口醤油にあたります(出典:Wikipedia「醤油」。発祥の時期については1640年代ごろとする記述と、江戸時代中期とする記述の両方が併記されており、幅があります。2026年11月3日確認)。
醤油の産地として大きく育ったのは、下総国の野田と銚子でした。行徳の塩、関東平野の麦と大豆、そして江戸川・利根川の水運という三つがそろった土地だったからです。蔦重が生きた時代の江戸は、ちょうどこの地廻り醤油が食卓を塗り替えていく只中にありました。
醤油の前、江戸の人は何で味をつけていたのか
では醤油が普及する前は何を使っていたのか。講演が取り上げるのが煎り酒(いりざけ)です。日本酒に梅干しなどを入れて煮詰めた調味料で、室町期に考案され、江戸時代中期まで垂味噌(たれみそ)とともに広く使われていました。酒の甘みと梅の酸・塩気で、刺身や和え物の味を決めていたわけです。
煎り酒が退いた理由は単純で、醤油のほうが保存がきき、味も強かったからでした(出典:Wikipedia「煎り酒」。2026年11月3日確認)。調味料が替われば料理も替わる──この節は、そのあとに続く「江戸前」の話の土台になっています。
1日3食はいつ定着したのか
江戸の食が1日2食から3食に移った時期について、講演は明暦の大火をひとつの契機として挙げます。明暦3年(1657年)1月18日から20日にかけて江戸を焼いた火事で、外堀以内のほぼ全域、市街の6割が焼失し、死者は3万人から10万人と記録に幅があります。延焼面積も死者数も江戸時代最大でした(出典:Wikipedia「明暦の大火」。2026年11月3日確認)。
復興のために全国から大量の職人が江戸へ集まり、その重労働を支えるために昼食が加わっていった、という筋立てです。ただしこれは広く語られる説のひとつで、1日3食化の原因を大火だけに帰する一次史料は確認できませんでした。本記事では講演で示された見方として紹介します。なおこの大火の後、隅田川に両国橋や永代橋が架けられ、火除地(ひよけち)と広小路が設けられ、土蔵造や瓦葺きが奨励されました。江戸の町そのものがここで形を変えています。
醤油が生んだ「江戸前」の名物
濃口醤油が安く手に入るようになったことで、江戸には屋台で供する食べ物が育ちました。鰻の蒲焼、天ぷら、蕎麦、寿司。講演はこの4つを「江戸前四天王」と呼んで並べています。いずれも濃口醤油がなければ成り立たない味です。蒲焼のタレ、天つゆ、そばつゆ、そして寿司の煮切り──江戸の名物食はどれも醤油から逆算してできあがっていったことになります。
この4つが屋台で広まった背景には、火事の多い町で台所を持たない単身の男性が多かったという江戸の人口構成もあります。外で手早く食べられるものが求められ、濃い味つけはその需要に合っていました。
蔦屋重三郎は何を売った人なのか
蔦屋重三郎は寛延3年(1750年)に新吉原で生まれ、寛政9年(1797年)に47歳で没しました。安永2年(1773年)に吉原五十間道の店を間借りして書肆「耕書堂」を始め、天明3年(1783年)9月には日本橋通油町へ進出。ここが本拠になります(出典:Wikipedia「蔦屋重三郎」。2026年11月3日確認)。
商いの出発点は『吉原細見(さいけん)』、つまり吉原のガイドブックでした。はじめは他店が刊行したものの卸し・小売りから入り、安永4年の秋に自ら『籬の花(まがきのはな)』を刊行。天明3年には他店の細見の株そのものを買い取り、『五葉松』として出し直しています。生まれ育った土地の情報を商品にし、やがて版権を押さえにいく──講演は、この「場所に根ざした情報を売る」という発想が、後の喜多川歌麿の美人大首絵や東洲斎写楽の役者絵につながっていくと整理します。
食の話に出版人が登場するのは奇妙に見えますが、料理の情報が本になって流通し、流行が全国へ広がる仕組みをつくったのが、まさにこの時代の出版だったからです。
握り寿司はなぜ生まれたのか
講演でいちばん具体的なのが寿司の節です。それまでの寿司は箱に詰めて何時間も押す押し寿司でした。これを嫌った両国の華屋与兵衛(はなや よへえ)が、手で握ってすぐ出す「握早漬(にぎりはやづけ)」を考え出したと伝えられます。与兵衛が売り始めたのは文政7年(1824年)ごろとされ、握り寿司が形として定まったのは文政年間(1818〜1831年)でした。文献上の最も早い言及は文政12年(1829年)刊の『柳多留』で、句そのものは1827年に詠まれています(出典:Wikipedia「江戸前寿司」。2026年11月3日確認)。
もうひとつが赤酢です。初期の江戸の握りは米酢を使っていましたが、やがて酒粕から造る粕酢(かすず)が主流になりました。これが赤酢と呼ばれるもので、合わせ酢は粕酢と塩だけ、砂糖は入れません。ミツカンは、創業者の中野又左衛門が文化元年(1804年)の江戸行きを経て粕酢を江戸にもたらしたとしています(同社自身の主張です)。「時短」と「酒造の副産物の活用」という二つの工夫が、江戸の寿司を屋台の食べ物として成立させたことになります。
『豆腐百珍』と江戸の料理本ブーム
天明2年(1782年)5月に出た『豆腐百珍』は、豆腐料理100種を集めた本です。著者は醒狂道人何必醇(せいきょうどうじん かひつじゅん)の号で、料理人ではなく文人が趣味で書いたものとされています。これが評判になって翌年に続篇が出、さらに大根・鯛・甘藷(さつまいも)・卵などを題材にした「百珍物」が江戸と大坂で次々に刊行されました(出典:Wikipedia「豆腐百珍」。2026年11月3日確認)。
ひとつの食材を100通りに展開して見せるという編集の型が、そのまま他の食材へ複製されていく。蔦重の時代の出版が、食の流行をつくる装置になっていたことがよく分かる一例です。
蔦屋重三郎の死因、「江戸わずらい」とは何か
蔦重の死因は脚気(かっけ)と伝えられています。曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』などに拠るものです(出典:Wikipedia「蔦屋重三郎」)。
脚気は重度で慢性的なビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害を起こす病で、原因がビタミンB不足と確定したのは1925年のことでした。元禄年間(1688〜1704年)に江戸で武士や町人にも白米食が広まったことで流行したと記録されています(出典:Wikipedia「脚気」。2026年11月3日確認)。精米した白米ばかりを食べ、麦や雑穀から離れた都市の食生活が病を呼んだわけです。
江戸を離れると治り、江戸に戻ると再発する――そのため「江戸わずらい」と呼ばれたと語られます。ただしこの呼称はWikipedia「脚気」の本文には見当たらず、本記事では講演で用いられた言い方として記します。豊かになった都市の食が、同時に欠乏を生んだ。江戸の食文化史は、その両面を抱えています。
江戸の食をいまに伝える老舗
講演で語られた醤油・蕎麦・寿司・鰻は、いまも日本橋とその周辺で商いを続ける老舗の手に受け継がれています。agataJapanで動画つきで紹介している老舗から、この講演と重なるものを挙げます。
- 醤油 岡直三郎商店(創業1787年)──木桶仕込みの「日本一醤油」。江戸期の造りをいまに残す蔵
- 蕎麦 総本家更科堀井(創業1789年)──そばの実の中心だけを挽いた白い「さらしなそば」
- 佃煮 新橋玉木屋(創業1782年)──『豆腐百珍』と同じ年の創業。江戸前の濃い味つけの系譜
- 鰻 竹葉亭(江戸末期創業)──銀座のうなぎと鯛茶漬け
- 海苔 山本海苔店(創業1849年)──江戸前の海でとれた海苔を商い、味付け海苔を生んだ店
- 菓子 榮太樓總本鋪(創業1818年)──握り寿司が形を定めた文政元年の創業
- あんこう いせ源(創業1830年)──江戸の「三鳥二魚」のひとつを受け継ぐ
同じ老舗・ご当地セミナーの他の回も記事にしています。あわせてどうぞ。
- ヒット商品開発──にんべんと榮太樓總本鋪の革新
- 若き技の担い手──榮太樓と更科堀井の女性職人
- 老舗飲食店の継続の秘密──いせ源と竹葉亭
- 北国街道──加賀と日本橋を結んだ道
- 有田焼と榮太樓總本鋪の異業種コラボ
この連載の記事は「動画で見る日本の老舗」にまとめています。東京都の老舗の一覧もあります。
老舗フェスティバル2026への御礼
2026年10月3日に日本橋で開催した老舗フェスティバル2026は、多くの方のご来場をいただいて無事に終えることができました。ご来場・ご出展いただいた皆さまに御礼申し上げます。本記事で取り上げた講演は前年(2025年)のセミナーのものです。
100年続く老舗の品を、お取り寄せで
「老舗通販.net」は、3代100年以上続く老舗だけが参加する通販サイトです。2010年の開設以来、全国の老舗の品を扱ってきました。遠方でお店に足を運べない方も、ここから取り寄せられます。
この記事で挙げた老舗のうち、老舗通販.netに売り場があるものはこちらです(2026年11月3日時点)。
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