【第28回】蕎麦のつなぎに小麦粉を使用する理由

芝大門 更科布屋 店主の独り言 更科そば蕎麦

「天ぷら」「そば」「寿司」「うなぎ」は、江戸を代表する「食」と言われ、それぞれが江戸の庶民文化の中で培われてきました。このコラムでは、そば店の店主として、そばにまつわる面白い話や、一般的には知られていないそばにまつわる意外な事実などをお伝えします。そば文化をより知っていただくきっかけになれば幸いです。※当コラムは「芝大門  更科布屋」の店内で、月に1話、お客様に配っているリーフレットから転載しております。

蕎麦は小麦粉を入れるから白くなる?

白っぽいそばはそば粉が小麦粉より少ないと言う「都市伝説」のような話がありますが、蕎麦産地の田舎で食べるお蕎麦が黒い事がその出所なのでしょう。しかしながら蕎麦粉は本来白い物なのです。

お酒の大吟醸(精米歩合50%以下)の様に蕎麦の実の中心部分25%程度しか取らない「更科そば」なら真っ白な蕎麦になるので、つなぎで白くなる訳でも、つなぎの小麦粉を加えるから長く繋がる物でも無いのです。

そば切りが生まれた時代には確かにそば粉より小麦粉が余計に入っていた事が知られています。1751年に発刊された『蕎麦全書』にも「小麦粉4升に蕎麦粉1升の割合」と記述されていますが、これは当初そば切りが小麦粉で作ったうどんの代用品から始まった為と思われます。

細く長くして食べるのは素麺やうどんと言った小麦製品であり、当時小麦粉より数段安価なそば粉を混ぜて増量し販売したと考えられます。現在この価格は大逆転しており、蕎麦粉は小麦粉の約5倍もする高値です。

蕎麦を作るときに小麦粉を入れる理由

さて話を戻して、当時の蕎麦粉は挽き方が荒かったり不純物である表皮の部分(この部分が蕎麦を黒くする原因)を取り切れなかったりで、確かに繋ぎ難かったようです。しかし、本来の蕎麦粉はつなぎを入れずとも正しく丁寧な製粉をすれば水だけで繋がる粉です。繋げる原理には蕎麦の持つ蛋白質が水に溶けた時に出す「粘り」を使うのです。

ところが一度はしっかり繋がるそば粉もその蛋白質が水溶性の為、乾くと元に戻ってしまい繋ぎ役が居なくなって切れてしまうので、水以外の繋ぎ役を入れるのです。つまりつなぎを入れないと繋がらないのではなく、時間が経つと繋がっていられないのです。

繋ぐ力と繋ぎ止めておく力の両方を備えている小麦粉が、繋がるそば粉と繋げる技術を持ち合わせていない人によって使われた結果、蕎麦を長くする為には小麦粉をたくさんつなぎに入れなくては繋がらない事になってしまったのです。

小麦粉の力だけで繋がった蕎麦は美味しい物ではありません。そば粉だけでも長くできる技術を持ってこそお蕎麦の美味しさが出せるものと確信しています。

その技術こそがそば粉を練る「木鉢の技術」であり、それに使うそば粉を作る「抜きを取る(完全に脱皮した実を作る)技術」なのです。江戸時代に完成したこの二つの技が江戸蕎麦の隆盛の礎ですが、そこにはそば粉を繋ぎ止めておくためのつなぎは入れますが、繋げるためのつなぎは使いません。先人達によって修練されたそのつなぎの割合が二八そばの原点だと言われています。つなぎには鶏卵や山芋も使われますが、発生の状況から見て小麦粉が一番自然と思われます。

この記事を書いたのは…

寛政3年(1791年)、薬研堀(現在の東日本橋)で創業。大正2年(1913年)から増上寺門前にお店を構えるそば店「更科布屋」の7代目ご当主。芝の地で創業100年以上の伝統を有する老舗の会「芝百年会」の会長も務める。
更科布屋ホームページ

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