木村屋總本店の動画サムネイル

木村屋總本店|創業1869年、酒種あんぱんを七代目が語る【動画】

木村屋總本店(きむらやそうほんてん)は、東京・銀座4丁目に本店を置く、明治2年(1869年)創業のパン屋です。日本の菓子パンの原点である酒種あんぱんを生み出した店として知られ、桜の塩漬けをのせた「酒種 桜」、ジャムパン、むしケーキと、いまも売り場に並ぶ定番を次々に送り出してきました。現在の当主は七代目・代表取締役社長の木村光伯氏。従業員は850名、首都圏の百貨店を中心に24の直営店を構えています。

これだけ知られた商品を持つ店ですから、あんぱんは華々しい発明だったように思えます。ところが木村氏の説明はまるで違います。パン食の習慣がない国で、発酵に使うホップも小麦粉も手に入りにくい。その制約を一つずつ回り込んだ末にできたのが、あんぱんだった——氏はこれを「苦肉の策」と呼びます。

agataJapanのYouTubeチャンネルでは、木村氏が語る約45分のインタビューを公開しています。CIC Tokyoを会場に配信してきた番組「伝統はイノベーションの連続である」の一回です。この記事では、動画の内容に加えて、芝日陰町の「文英堂」から銀座4丁目に至る歩み、酒種という発酵のしくみ、そして2026年10月に発表された二つの受賞までを、公式サイトと公開資料で裏を取ってまとめました。(本文の事実関係はいずれも2026年10月19日に確認しています)

動画で語られているのは何か

動画は2021年12月17日の公開で、長さは45分3秒。CICライブのこのシリーズには章立て(チャプター)が設定されていないため、以下は動画の概要欄と、同じ取材をもとにしたagataJapanの連載コラム(前編・後編)から、話題の並びを整理したものです。タイムスタンプは動画側に用意がないため記していません。

  • 二つの墓石 — 菩提寺にある二基の墓。一つは木村家の墓、もう一つは木村家に限らず木村屋總本店で働いた人や、のれん分けした全国の木村屋の思いが集まった墓石だという話
  • 7番目の走者 — 「先祖から木村屋というバトンを預かっている7番目の走者」。磨いて8番目に渡す使命はあるが、それが自分の子どもかは別問題だと語ります
  • 製造現場で受けた驚き — 工業的に作られていると思っていた商品が、実際にはその日の気温や湿度に合わせて職人の口伝で守られていたこと
  • 父の鉄板 — 焼き型を拭いていると父が来て「油のつきが悪い」「油が酸化しているから全部やり直し」。体で覚えた感覚で製造を見ていた先代の姿
  • 理念を作り直した話 — 自分の言葉ではなく、先輩たちが現場で大切にしていた言葉から紡いだ「食で感動をつなぎ、幸せの輪を広げる」「丁寧に素早く最高を作る」。評価制度にまで落とし込んだ経緯
  • あんぱんは苦肉の策 — ホップの代わりに酒種、固いので砂糖を増やし、酒まんじゅうに近づき、あんこを入れた。「イノベーションは日々の試行錯誤の連続の結果」という氏の解釈
  • むしケーキとマーラーカオ — 中国の馬拉糕を下敷きに、日本で培った洋菓子の技術をかけ合わせた昭和55年の商品
  • 定番になるということ — 自社が味を守るだけでなく、お客様が家庭で味をつないでくれることの重さ。あんこと酒と音楽の催し「アンコマンないと」や、若い世代に向けたサブブランド「キムラスタンド」の話

木村屋總本店とは — 芝日陰町の「文英堂」から銀座4丁目へ

公式サイトの企業情報は、創業を明治2年(1869年)と明記しています。2026年で創業157年。創業者は木村安兵衛(1817年〜1889年)。もともとは常陸国河内郡田宮村(現在の茨城県牛久市田宮町)の農家の次男で、小貝川の洪水が重なって農業を離れ、江戸へ出て津藩に仕えました。明治に入って叔父・木村重義が営む授産所の事務職に就き、そこで長崎のオランダ人宅で料理人をしていた梅吉と出会います。これがパンとの接点になりました。

店の名は「文英堂」。妻の文と次男の英三郎の名を合わせたものです。安兵衛は婿養子として木村家に入っています。開業の地は東京・芝日陰町で、木村氏は動画のなかで「新橋の芝日陰町、現在の烏森口辺り」と説明しています。

公式の沿革をたどると、銀座の店になるまでの道筋がはっきりします。

  • 明治2年(1869年) 木村安兵衛が東京芝日陰町に「文英堂」を開業
  • 明治3年(1870年) 京橋区尾張町(現在の銀座付近)に移り、屋号を「木村屋」と改称
  • 明治7年(1874年) 銀座4丁目に店舗が完成。酒種あんぱんを考案、発売
  • 明治8年(1875年) 明治天皇の水戸家への行幸の折、侍従・山岡鉄舟を通じて酒種あんぱんが献上され、ご試食の栄を賜る。皇后が特に愛され、引き続き上納することとなり宮中御用商に加わる。このとき山岡鉄舟が「木村家」屋号の大看板を揮毫した
  • 明治10年(1877年) 陸軍がパンを採用。「西南の役」用のパンを製造
  • 明治15年(1882年) 木村屋のあんぱんが銀座名物となる。あんぱん1個1銭
  • 明治33年(1900年) 三代目・儀四郎がジャムパンを新発売し、大評判となる
  • 大正12年(1923年) 関東大震災により銀座4丁目の店舗が焼失
  • 昭和2年(1927年) 現在地に木村屋總本店が落成
  • 昭和5年(1930年) 株式会社に改組
  • 昭和46年(1971年) 銀座4丁目の本店を鉄筋9階建てに改築
  • 平成13年(2001年) 江東区有明に東京工場を新設。平成22年に本社事務所も同所へ

あんぱんの考案者について、公式の沿革は「木村安兵衛が酒種あんぱんを考案、発売する」と初代の名のみを記しています。一方でWikipediaなどの記述は安兵衛と次男・英三郎の二人によるものとし、桜の塩漬けを添える案は英三郎が出したとしています。木村氏自身は動画で「初代・2代目と職人さんが考えながら作っていったもの」と語っており、個人の発明というより店ぐるみの試行錯誤だった、という理解が三者に共通しています。

社名と屋号の使い分けにご注意ください。会社の商号は株式会社木村屋總本店ですが、山岡鉄舟が揮毫した看板に由来して銀座本店には「木村家」の名が残り、関連会社に株式会社銀座木村家があります。さらに、浅草で人形焼を作る木村家本店は、名前が似ていますがまったく別の会社です。agataJapanには田村町木村屋本店のページもあり、こちらも別の老舗です。

七代目・木村光伯氏はどんな人か

木村光伯氏は昭和53年(1978年)7月生まれ。大学を卒業してそのまま木村屋總本店へ入社しました。社会人になった22歳から1年半ほど、アメリカのAIB(米国製パン研究所)で学び、28歳で代表に就いています。父と実際に一緒に働いた期間は3年と少しでした。

幼いころは祖母と三世帯で暮らし、「会社を継げ」と言われたことはほとんどなかったといいます。継ぐことを意識しはじめたのは、大学時代の夏休みに父から「暇だったら、ちょっとアルバイトに行って来い」と言われて現場に入り、製造の職人にかわいがられてからでした。

実家の食卓はご飯派だったという話も出てきます。会社に行けばパンがあり試食もするので、父もそうしたのではないか、と。パンが生業になってからは、流行りのパン屋を回ることがかえって趣味になったそうです。

受け継いできたもの — 菩提寺の二つの墓石

木村屋總本店に、文章化された家訓はありません。氏がそれに近いものとして挙げたのが、毎月親に連れられて通ったお墓参りの記憶です。菩提寺には墓石が二基ある。一つは木村家が眠る墓。もう一つは、木村家に限らず木村屋總本店で働いた人たち、そしてのれん分けした全国の木村屋の思いが集まった墓石です。

二基ある理由を改めて考えて行き着いたのが、木村屋という名前に誇りを持つことと、関わってくれた先輩たちへの敬意を持ち続けること。形式にはなっていないけれど、これが家訓に近いのではないか、というのが氏の答えでした。

この姿勢は理念の作り方にも出ています。もともと「いつも幸せ」という社是と、お客様・パートナー・従業員・会社・自分自身という五つの幸せを大切にする考えがありました。ただ氏には、その言葉が成り立った理由が分からなかった。自分の言葉で置き換えてみても、社内の誰もが気持ちを込められるものになるか疑問が残る。そこで先輩たちが現場で使っていた言葉から紡ぎ直したのが「食で感動をつなぎ、幸せの輪を広げる」、そしてそれを体現する「丁寧に素早く最高を作る」です。氏はこれを基準に評価制度まで見直しました。理念と評価をつなげたことが、こだわった点だと語っています。

変えてきたこと — 「苦肉の策」が定番になるまで

最初かつ最大のイノベーションは、あんぱんそのものでした。ただ当時の文献は関東大震災と戦争で焼けてほとんど残っておらず、誕生の理由は氏自身の考察です。創業した明治2年の日本にパン食の文化はない。パンがあっても主菜の魚料理とは並べにくく、主食の米にも置き換わらない。店があった銀座近辺は火事が多く、小麦粉やホップといった原料も手に入りにくかった。

そこで発酵に使うホップの代わりを日常のなかから探し、日本酒の原料となる酒種を生地に練り込んだ。生地は膨らんだものの固くて主食に向かないので、菓子寄りにすべく砂糖を増やす。おやつになるなら近いものに酒まんじゅうがある——そう辿っていくうちに「あんこを入れてみたらどうか」という発想が出てきたのだろう、という筋立てです。だからあんぱんは戦略的な商品ではなく、手探りの苦肉の策だった。氏の言葉では「イノベーションは日々の試行錯誤の連続の結果として生まれるもの」になります。

同じ作り方は後の商品にも通じています。昭和55年(1980年)のむしケーキは、中国の馬拉糕(マーラーカオ)を下敷きに、日本流のアレンジと膨らませる技術、日本で培った洋菓子の技術をかけ合わせたもの。公式の沿革が明治33年に三代目・儀四郎の新商品として記すジャムパンについて、氏は「別会社で扱っていたジャムサンドビスケットのジャムが余ったのではないか」と笑いながら推測しています。昔からの技術と新しく入ってきたものをかけ合わせて日本の文化に合うものを作る、それが自社のコアかもしれない、と。

定番を守る仕事も続いています。あんこを身近に楽しんでもらうため、あんこと酒と音楽をコンセプトにした「アンコマンないと」という催しが生まれ、20代・30代も集まるようになりました。若い世代に向けては「木村屋」とは別にキムラスタンドなどのサブブランドを展開しており、公式の店舗一覧でも巣鴨駅・大森駅の2店が確認できます。

2026年10月、リブランディングと「酒種 桜」が同時に受賞

動画の収録は2021年ですが、そこで語られていた「包装やデザインの見直し」「若い世代との接点づくり」は、その後かたちになりました。公式サイトは2026年10月15日に、二つの受賞を同時に発表しています。

  • 2026年度グッドデザイン賞(リブランディング) — 新パーパス「日本のパン文化をもっと豊かに」を掲げ、分かち合う喜びである「おもたせ」文化を現代につなぐために行ったリブランディングプロジェクト。長い歴史のなかでブランド表現が乱立し、本来の世界観が伝わりにくくなっていたこと、若年層への訴求力不足とマンネリ化が課題でした。明治の銀座を象徴する煉瓦色と、創業時の活字を再構築したロゴマークを軸に、贈答用包材・識別シール・Webサイトまで一貫して展開しています
  • 2026年度ロングライフデザイン賞(酒種 桜) — 八重桜の塩漬けと北海道産小豆のこし餡が伝統の酒種生地と調和した商品。審査では、明治8年から続く歴史あるあんぱんであり、いまも一つ一つ手包みで製造していることが挙げられました

グッドデザイン賞は1957年創設の、日本で唯一の総合的なデザイン評価・推奨のしくみで、2026年度は第70回の節目にあたります。受賞対象は2026年10月31日(土)から11月4日(水)に開催される「GOOD DESIGN EXHIBITION 2026」で展示される予定です。

酒種とは何か — 日本酒の酒母でパンを発酵させる

動画を理解する鍵は、この「酒種」という言葉です。パンを膨らませるには発酵が要ります。いまならイーストですが、明治初期の日本ではイースト菌が希少でした。ホップを使ったパンは作れたものの、食感が固く日本人の口には合わなかったと伝えられています。

そこで用いられたのが、酒饅頭の製法にならった酒種です。酒種は麹に酵母を繁殖させた酒母で、米・麹・水を発酵させて作ります。日本酒の仕込みと同じ原理をパン生地に持ち込んだわけです。酒種で発酵させた生地はしっとりと仕上がり、ほのかに麹の香りが残ります。西洋から来たパンを、日本の醸造技術で日本人の口に合わせた——ロングライフデザイン賞の審査でも、この点が「日本らしい食文化における代表的なフードデザインの一つ」と評されています。

同じ酒まんじゅうの系譜につながる老舗として、agataJapanでは饅頭の塩瀬総本家も紹介しています。

4月4日は「あんぱんの日」

明治8年の献上は、記念日として残っています。4月4日は「あんぱんの日」。木村屋總本店が制定し、2001年(平成13年)4月4日に一般社団法人日本記念日協会が認定・登録しました。由来はこの日、隅田川の花見のため向島の旧水戸藩下屋敷を訪れた明治天皇に、山岡鉄舟の仲介で酒種あんぱんが茶菓子として献上されたことです。

なお公式の沿革はこの出来事を「明治天皇の水戸家への行幸の折」と記し、日付は書いていません。ロングライフデザイン賞の審査評では「明治天皇のお花見の際に」とされています。向島の水戸藩下屋敷での観桜という同じ出来事を、別の角度から書いたものと読めます。

のれん分けと、全国に広がった「木村屋」

木村屋の名は各地に広がりました。大正初期には100店を超え、かえって混乱を招いたため、同社は間接的な分店との関係を整理し、直系の店にのみ認可証を出す形に改めています。1902年(明治35年)に木村屋世襲会、1949年(昭和24年)に木村屋睦会が作られました。岡山木村屋(1919年)や札幌キムラヤ(1927年)はこの流れにある店です。築地木村家(1910年)は2021年に店を閉じています。

冒頭で触れた二つ目の墓石——のれん分けした全国の木村屋の思いが集まっているという墓石の意味は、この歴史を知ると違って見えてきます。

買う・訪ねる

銀座4丁目の本店は、東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線「銀座」駅A9出口のすぐ近くにあります。主な取扱商品は酒種あんぱん類と各種あんバター類。木村氏が動画で「銀座で観光に来られて170円、180円くらいで買えるものがあるのは、恐らく私たちのお店くらい」と笑っていた価格帯の店です。

老舗通販.netでの取扱について:2026年10月19日時点で、老舗通販.netに木村屋總本店のコレクションと商品は確認できませんでした。お取り寄せは公式サイトのオンラインショップをご利用ください。なお老舗通販.netにある「木村家本店」は浅草の人形焼の店で、別の会社です。

老舗フェスティバル2026 by agataJapan

2026年10月3日、東京・日本橋で「老舗フェスティバル2026 by agataJapan」を開催しました。全国の老舗が一堂に集まり、三井本館見学会や老舗・ご当地セミナーをはじめとする企画に多くの方がお越しくださいました。ご来場いただいた皆さま、ご出展いただいた老舗の皆さまに、あらためて御礼を申し上げます。

木村屋總本店は2026年のフェスティバルには出展していませんが、西洋から来たパンを日本の醸造技術で日本人の口に合わせ、それを150年以上にわたって定番として守り続けてきた歩みは、このイベントが伝えようとしてきた「三代百年を越えて受け継がれてきたもの」そのものです。当日の様子や御礼は、以下のページからご覧いただけます。

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「老舗通販.net」は、3代100年以上続く老舗だけが参加する通販サイトです。2010年の開設以来、全国の老舗の品を扱ってきました。遠方でお店に足を運べない方も、ここから取り寄せられます。

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動画で見る日本の老舗

この動画は、CIC Tokyoを会場に配信してきた番組「日本の老舗 〜伝統はイノベーションの連続である〜」の一回です。日本各地の文化と経済の中心である老舗をテーマに、3代100年続いてきた秘訣、伝統と革新、家訓など、普段あまり語られてこなかったエッセンスをご当主に伺うインタビューで構成されています。

YouTubeチャンネル「日本の老舗」とagataJapanでは、全国の老舗のご当主インタビューを公開しています。agatajapan.com では、このシリーズの記事を 動画で見る日本の老舗 にまとめています。

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